ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】ローマ人の物語 8・9・10 ユリウス・カエサル ルビコン以前

2007年06月20日 22時13分22秒 | 読書記録2007
ローマ人の物語 8・9・10 ユリウス・カエサル ルビコン以前(上)(中)(下), 塩野七生, 新潮文庫 し-12-58・59・60(7503・7504・7505), 2004年
・ローマ人の物語、第IV集。紀元前100年から51年まで、主人公のカエサルが生れるところから、50歳になりローマへの反乱のために兵を率いてルビコン川を渡る場面まで。
・当時は未開の地であった、今でいうところのフランスやドイツを縦横に駆け回って各地のガリア人やゲルマン人との戦いにあけくれ、果ては海峡をこえてイギリスまでも足を伸ばして各地を平定し、ローマの覇権下に収めてしまうという凄まじい行動力。更にこれが2000年以上前の話だというのだから、その力にはただただ呆れるばかり。一個人にして「ヨーロッパを創作した」の一文は衝撃的です。いったい何がカエサルをそこまで駆り立てたのか!? 一凡人としては、その発想のデカさにとてもついていけません。ここに載せた図でいえば、一般人は単なる "点" にすぎないのでしょうね。
・「ユリウス・カエサル  「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」」上巻p.5
・「カエサルは姉と妹にはさまれた一人息子であったことになる。  それゆえか、母の愛情を満身に浴びて育つ。生涯を通じて彼を特徴づけたことの一つは、絶望的な状況になっても機嫌の良さを失わなかった点であった。(中略)幼時に母の愛情に恵まれて育てば、人は自然に、自信に裏打ちされたバランス感覚も会得する。そして、過去に捕われずに未来に眼を向ける積極性も、知らず知らずのうちに身につけてくる。」上巻p.40
・「家庭教師についてであれ私塾に通ってであれ、これらの教養学課の勉学は午前中に限られていた。午後は、体育の時間だ。」上巻p.47
・「「リキニウス法」が、長くローマを悩ませてきた貴族と平民の抗争に、この二階級いずれにも均等に国家の要職に就く権利を認めたことで終止符を打ったのに対し、「ユリウス市民権法」は、北はルビコン川から南はメッシーナ海峡に至るイタリア半島の、自由民すべてにローマ市民権取得を認めたことで。「ローマ連合」の盟主と同盟者の立場を平等にした点に意味があった。」上巻p.52
・「また、カエサルの文章も演説も常に、単刀直入に問題点を突くのが特色だ。」上巻p.95
・「いずれにしても、23歳のカエサルの弁護士開業は、見事な失敗で終わった。」上巻p.95
・「幸いにして、待つことを知り楽天的でもあったカエサルだが、 "大学" で学を深める前に海賊に出遭うとまでは、予想していなかったであろう。目的地のロードス島に向う海上で、乗っていた船が海賊船に襲われ、捕虜にされてしまったのだった。」上巻p.97
・「一説によれば、会計検査官(クワエストル)就任までにカエサルが積み重ねた借金の総額は、一千三百タレントにものぼったという。11万以上の数の兵士を、一年間まるまる傭える金額である。」上巻p.120
・「カエサルの読書量は、当時の知識人ナンバー・ワンと衆目一致していたキケロでも認めるところであった。」上巻p.120
・「カエサルは、モテるために贈物をしたのでなく、喜んでもらいたいがために贈ったのではないか。女とは、モテたいがために贈物をする男と、喜んでもらいたい一念で贈物をする男のちがいを、敏感に察するものである。」上巻p.124
・「ローマ社会では、結婚式よりも葬式のほうが重要視された。」上巻p.127
・「アレクサンダー大王やスピキオ・アフリカヌスやポンペイウスのような早熟の天才タイプでなくても、男ならばせめて、30歳になれば起ってくれないと困る。それなのにカエサルが「起つ」のは40歳になってからだから、伝記を書く者にとってはこれほど困る存在もない。」上巻p.141
・「カエサルという男は、あらゆることを一つの目的のためだけにはやらない男だった。彼においては、私益と公益でさえも、ごく自然に合一するのである。」上巻p.148
・「選挙違反は、実際にはあったらしいのである。だが、ローマ最高の弁護士といわれたキケロだ。黒を白と言いくるめることなど朝飯前だったろう。」上巻p.158
・「しかもカエサルは、女が相手でもなかなかに悪賢かった。妻を離縁して自分と結婚してくれと言う怖れのある、未婚の娘には手を出していない。彼が相手にしたのはいずれも、有夫か結婚歴のある女にかぎられていたのである。」上巻p.207
・「イタリアのある作家によれば、「女にモテただけでなく、その女たちから一度も恨みをもたれなかったという稀有な才能の持主」であったカエサル」上巻p.210
・「古今の史家や研究者たちにとっていまだに謎であるもう一つのことは、カエサルがなぜあれほども莫大な額の借金をしたのかよりも、なぜあれほども莫大な額の借金ができたのか、である。」上巻p.210
・「この男は、自分の墓にさえ関心がなかったようである。事実、彼の墓はない。」上巻p.215
・「二千年後でさえ文庫本で版を重ねるという、物書きの夢まで実現した男でもあった。」中巻p.69
・「このカエサルの文体は、次の三語で統括できるかと思う。  簡潔、明晰、洗練されたエレガンス。」中巻p.73
・「『ガリア戦記』は、前置きも導入部も何もなく、いきなり次の一句からはじめる。(中略)これで、たいていの物書きは、歴史家でも研究者でも作家でも、マイッタという気持にさせられる。なぜなら、文章を表現手段にする者にとって、前置きも導入部も書かずにいきなり本題に入るというのは、やりたいけれどやれない夢であるからだ。(中略)ということは、前置きとかイントロダクションとかは、読み手のためにある以上に、書き手のためにあるのである。」中巻p.74
・「闘わずして勝つのは、兵法の基本である。」中巻p.131
・「紀元前一世紀のイギリスは、商人も通わない遠隔の地であったのだ。自分で実地踏査するしかなかった。」中巻p.211
・「あの人は、カネに飢えていたのではない。他人のカネを、自分のカネにしてしまうつもりもなかった。ただ単に、他人のカネと自分のカネを区別しなかっただけなのだ。あの人の振舞いは、誰もがあの人を支援するために生れてきたのだという前提から出発していた。」中巻p.235
・「それに、兵の数も、多ければ多いほど良いとはかぎらない。カエサルは、敵より劣勢な兵力で闘うことを、不利とは考えていなかった。まずもって兵の数が少なければ、兵糧確保の問題も少なくなる。」下巻p.19
・「ためにカエサルの兵士たちには、自分の属す軍団への帰属心が非常に強く、また誇りも高かった。事実、カエサル配下の第何軍団の兵士と名乗るだけで、他国の王にも部族長に対しても、立派に "名刺" として通用したのである。」下巻p.21
・「ユリウス・カエサルは、ヨーロッパを創作しようと考えたのである。そして、創作した。」下巻p.37
・「考案者が死ねばその人の考案したことまで忘れ去れてしまうのは、オリエント(東方)の欠陥である。オチデント(西方)では、人は死んでもその人の成したことは生きつづける場合が多いのだが。」下巻p.69
・「ガリア戦役七年目にしてはじめて、カエサルは盤の向こうに、自分と向い合う一人の敵(ヴェルチンジェトリックス)をもつことになったのである。」下巻p.97
・「敵にするならば、指揮系統が統一されているという点で、蛮族よりも文明国のほうが闘いやすいのである。」下巻p.98
・「ヨーロッパの町の多くは、ローマ軍の基地を起源としている。現在の町の名が、ラテン語を各国式に発音したにすぎない現状がそれを示している。」下巻p.120
・「私には、戦闘も、オーケストラの演奏会と同じではないかと思える。舞台に上がる前に七割がたはすでに決まっており、残りの三割は、舞台に上がって後の出来具合で定まるという点において。舞台に上がる前に十割決まっていないと安心できないのは、並みの指揮者でしかないと思う。」下巻p.132
・「プルタルコスの記述を信ずるとすれば、カエサルによる八年間のガリア戦役で、百万人が殺され百万人が奴隷にされたという。」下巻p.163
・「しかし、現代イギリスの研究者の一人は、書いている。  「アレシアの攻防戦が、ブリタニアもふくめた、ピレネー山脈からライン河に至る地方の以後の歴史を決定した」と。」下巻p.170
・「おそらく、カエサルが全幅の信頼を寄せていた配下の将は、このラビエヌス一人であったろう。」下巻p.227
・「副将の離反を知ったカエサルは、ラビエヌスが置いていった荷のすべてを、彼あてに送るよう命じた。これが、13年来の同志の離反に際し、カエサルがやった唯一のことだった。」下巻p.235

?へいばこうそう【兵馬倥偬】 戦争のためにいそがしいこと。
?けんどちょうらい【捲土重来】 (「ちょう」は「重」の漢音。「捲土」は土煙をまき上げること。勢いのものすごいさま)一度失敗した者が、再び勢力を盛り返して来ること。一度負けた者が勢力を盛り返して攻め寄せること。けんどじゅうらい。

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