(↑↓女子会のランチ。友人が用意してくれたものにわたしが買ってきたものを加えて)
この前、「オンライン同窓会」をやってから丸2年。
ひさしぶりに「会いたいね」、
「オンライン同窓会したいね」と言ってたこの夏。
でも、
わたしのコロナ発症で
未だ実行できていない女子会のグループがありました。
「イスラエル女子会」。
ヘンテコな名前でしょ??
メンバーはというと、
1993年夏、
一緒にイスラエル・ギリシャに行った人たち。
3週間のツアーで、
今年の夏で丸30年が経ちます。
長旅だったこと、
行った場所が場所だったこともあって、
メンバー同士の繋がりは特別強いものにもなったのでした。
今回は、
わたしが一人の友人宅に遊びに行って、
そこから別の遠方の友人とはオンライン同窓会をするというもの。
遊びに行った友人宅では、
ランチを挟んで個人的なおしゃべりをした後、
午後に3人のオンライン女子会となったのでした。
↓「エルサレム・旧市街」を東側から望む
当時、わたしたちの参加したのは、
エルサレムにあるアメリカの考古学研究所に寝泊まりして、
聖書地理学、歴史学、考古学などの講義を受ける、
一日の半分は、フィールドに出かける、
最後には試験を受けて、
修士号レベルの単位ももらえるというツアー。
今は、その研究所、メインの名前が、
「ホーリーランドインステテュート」から、
↑ここにはそのツアーの様子も載せられています。
になっています。
↓研究所の部屋。赤い服はわたし。
時には1泊2日のフィールドトリップとして
北のガリラヤ地方や南のネゲブ地方、
エイラート方面、死海方面に行くこともあり、
その時はその地域のユースホステルに宿泊。
↓体が浮きすぎる「死海」、ユダの荒野、
巨大クレーターのような地形の「ミツペラモン」など、
独特の地形も「イスラエル」の魅力の一つ。
イスラエル全土を旅し、
わたしにとっては人生最大のアドベンチャーでした。
今考えると、
あの時行っておいて良かった〜。
わたしたちが行った時期は、
PLOのアラファト議長とイスラエルのラビン首相の尽力で、
両者の関係が割合よく、
比較的落ち着いた時期だったように思います。
それでも、ガザ近くの遺跡に行った時には、
そっち方面から爆発が!
また、レバノンとの衝突もあり、
突然、
危険だからと、
北の端の地域には行けなくなりもしました。
イスラエルにいる間、
平和な時期だったとはいえ、
ずっときな臭い雰囲気の中にいたと思います。
ここ最近になって、
ハマスとイスラエルの衝突が急に激化しましたね。
そんな中での女子会。
当時の様子をハンディカムで撮影した映像がたっぷりあり、
DVDにまとめたので、
それを見つつ、当時のことを語り合おうと思っていましたが、
ちょっと気持ちの重い鑑賞会になりました。
彼の地に思いを寄せながら、
簡単なことではないと思いますが、
両者の間にこれ以上の悲劇が訪れない方法が模索されるように、
そして劣悪な生活を送らざるを得ないガザの人たちに、
さらに援助の手が差し伸べられて、
落ち着いて眠れる夜が来るように祈りました。
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