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(↑富士山、霞んでます)
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先々週末からドクターの顔ばかり見てるようなまんじゅう顔。
泌尿器科に行ったら、
「まだ三分の一くらいの位置に石が止まってるようだね」とのこと。
「せんせ、またあの痛みがやってくる可能性がありますか」
「突然やってくるよ」
「仕事中にやって来たらいやだから、手を打てないでしょうか」
こう言ったら、ドクター、思わず笑って、
「まあ、痛み止めと座薬はいつも持っておくことだね」
「そして、実際痛みが来た時、痛がってるあなたを見て、
あまりの痛がりように周りがとにかくびっくりするだろうから、
事前に、『自分は今石を持ってて、痛みだすかもしれない』と伝えておいたほうがいいよ」と。
「ま、どこにも経験のある人もいるから、理解してくれるんじゃない〜」だって。
「え、言っておくんですか??」
本当は黙っていたかった。
11月下旬にも入院してたしね。
ブログではその後他にも色々あったことを書いてるから、
ブログを読まれた方の中には「まんじゅう顔、まあ色々あるね〜」と、
思われる人もいるだろうけど、
そのことを取り立てて何かのせいにしたり、
悪い方に言う言い方をされる方はいなかった。
ありがたいことです。
でもでも、
職場ではどう反応されるか想像できなかったから。
まあ、わたし、
そういう「因果応報的な考え方」は、全くしないのだけど、
そういう言い方されるのはこれまで経験済み。
「お祓いしてもらったほうがいいのじゃない?」とか、
「何かがついてるんじゃない?」とか、
「前世に何かあったんじゃない?」とか。
幼い頃、自分の母が体調を崩した際、
新興宗教の関係者が入れ替わり立ち替わり家に来られ、
いろんな本を勧めて帰って行かれたのを見ていたわたし。
前世のことを言われ、
現在の行いについて言われ、
お布施をしたほうがいいよと言われ、
ある動物を祀れと言われたり。
母はいろんなことにすがったけれど、
結局そんなに幸せそうではなかったのをよく覚えてる。
そんな母を見ながら成長し、
聖書に出会って、
聖書のこんな言葉に行き当たったのが大学生の時。
弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、誰かが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも両親ですか。」イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」 ヨハネによる福音書9章2〜3節
聖書の時代にも、
この質問をした弟子たちも、因果応報的な考えは主流だったよう。
しかし、
イエスのおっしゃった言葉は全くそれとは違っていたのですね。
当時、母の病気の問題で深く悩んでいたわたしは、
この言葉で目が開かれた気がしたのでした。
だから、
今自分は、全く違った考えの上に立っているですけど、
人から言われないとは限らず、
言われちゃうと、時にはわたし自身もあまりいい気がしないので、
やっぱりできたら言いたくなかったのです。
でも、
背に腹はかえられぬと、今回は思い切って言ってみた。
案の定、笑いながらだけれど、
上司からは「最近、引き寄せてない?」って言われちゃった。
お、その言い方があったか!(笑)
でもそんなにきつくはないぞ(笑)。
「本当ですかね!?」
「引き寄せてるんですかね?」って受け返して、
こっちも笑って済ませました。
人には様々な考えがありますから、
それはそれでいいですもんね。
でも、伝えたことで、
もし痛くなっても「ちょっとお願いします」と頼めるし、
苦しんでても誰も必要以上に心配もしないし。
言ってホッとしたのか、
感謝なことに仕事中も痛みが出ず、
無事先週のお仕事を全うできました。
この週末は、
ただただ水分を一生懸命とって、
身体を動かし、
石様が動いてくれるのを待つのみ。
「まな板の上の鯉、もとい豚」状態のまんじゅう顔。
もう、石様がいつ流れてくれるのか、
一人で予想して楽しんでます。
でも、痛いのはいや〜〜〜。
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それにしても「前世が何だ」だの「お布施をせよ」だの、「引き寄せてる?」だの、なんか非科学的な考え方をする方が、周りに多くいらっしゃるようで、めんどくさい?ですね。(^^;
そういうことよりも、「緑黄色野菜」や「カルシウム」を多く摂るとか、栄養学の研究でもした方が、いくらかでも役立つように思うけど…。(๑˃̵ᴗ˂̵)
ところで、私が時々覗いてるブロガーさんに、やはり「尿路結石」の持病を持つ方がいらして(焼き鳥店の店主様)、その方は「出てきた石」を並べて写真を撮り、記念に?、記事にアップされてます。(°_°) 少々悪趣味?ですが、その方のキャラクターがユニークな方なので、つい「笑って」しまいます。(^.^)
まんじゅうさんさんの「石」も、早く出て行ってくれるといいですネ。
焼き鳥店の店主様、いいですね〜。そういうの好きだわ〜。わたしも出た時に備えて、いつもトイレに携帯を持ち込んで、必ずチェックしてます。出てきた石を写真にとって記事にアップ??!そこまで度胸はないですけど、それくらいの楽しみを作らないとやってられない!(笑)。石様、早くさっと出て〜〜、日々祈ってます(笑)。
自分の言葉、いつも丁寧に言葉を選んでいるか自信ありません。
ちょうど昨日友人から相談事があり、とても言葉を探しながら私なりに話をしました。
でも日常で、私が何気なく言った言葉、もしくは自分では良かれと思って言った言葉で、もしかしたら誰かに嫌な思いをさせてしまっているかも知れないなと改めて反省しました。
実際、あー、あの時なんであんな言い方したんだろう、なんて軽率だったんだ!って、すごく申し訳なく、恥ずかしくなることも、たまにあります…
自分の口から出る言葉に関しては、わたしも自信がありません。わたしもいつも後悔ばかり。人のことを言えたものではありません。だからこそ、あまり悪く捉えないようにしたいと思っています。日常的には言葉を選び選び話すときばかりでもないですものね。お互い、許し許されという感じでしょうか。
おくすりを使ってもすぐにおさまるわけでもないし,
その間,ポーカーフェイスをきめる自信もなければ,
周りをびっくりさせない自信もない。
どうしても雑音って聞こえてきますよね。
私は「大殺界かな~」「厄年かな~」「おかしいな,おみくじ大吉だったのにな」「こんなに一気に来なくてもねぇ」とかで流すかな。
それでも心配してお守りを買ってきてくれた人が二人いましたが(^_^;)
(交通事故に巻き込まれて長期休業したあと,今度は骨折…という惨事でした)
わたしももし普通に勤めてたら、言いまくってると思います。特に山口統平法律事務所みたいなアットホームなところだったら、気兼ねなく言ってると思います。
別に何を言われたって、相手のことが本当によくわかってるから。
わたしの場合、ちょっと気を遣い過ぎてるのかもと思います。
でも、お守りを買ってきてくれた人が二人もいるって、すごいですね。優しい人が揃ってるとともにそれはちかこーんさんの人徳ゆえでしょう。素晴らしい!!!