手帳なわたし

手帳オタクな私。若い時からその時々の生活のスタイルに合わせて手帳を選び、使い方を工夫してきました。私の今の究極をご紹介。

日曜礼拝再開でわかった、想像力や創造力が必要な「新しい生活様式」

2020-06-08 | ライフスタイル



わたしの通うキリスト教会でも、

3ヶ月ぶりに会堂閉鎖がとけ、

ソーシャルディスタンスを取りながらの日曜礼拝が再開しました。


朝、一番で教会に行ったわたし。

誰もいない礼拝堂に入ると、

いわゆる長椅子のところどころに緑のテープが付いてて、

そこに座るように指示されています。

逆にその両隣りや前後は養生テープでバツがつけられていて、

座れないようになっていました。


数ヶ月前とは全く違った雰囲気。


まずは教会学校が日曜礼拝に先立って再開。

親御さんに車で送られて来た子供達が次々やって来ました。

皆、学年が一つ上がって、

中一になった女の子は、この閉鎖中にわたしの背を抜かしていました。


教会学校の礼拝、

礼拝堂の決められたところにばらけて座り、

賛美歌はなしで、礼拝も簡素化。

礼拝後の分級も、距離を置いて座り、

ワークをするのも黙って。


それでも、本当に久しぶりなので、

近況もお互い少し話したりして、

トータル1時間で解散。



その後、信徒さんを中心に人が集まって来ての日曜礼拝。

今まで通りオンラインで礼拝の様子を流し、

遠くの方、電車で来ないといけない方は自宅で礼拝。

近くだったり車で来ることができる人たちが

実際礼拝堂に集まって2ヶ月半ぶりに礼拝をしました。


オルガンでオルガニストが前奏、後奏は弾いてくれるけれど、

歌う賛美歌は1曲。

それも1番だけ。

立つこともなく、

ただ静かに座ってる礼拝。


それでも、集まって礼拝するっていいなあと思いました。


この春まで、乳幼児グループの集いに来られていて、

この春幼稚園に入園された親子さんが、

教会の方にお手紙をくださっていたのを牧師から預かりました。

中には、お母様からの丁寧なお手紙と、

そのお子さんの絵と文字のお手紙が入ってました。

お母様のお手紙の中には、

「週1回、娘と一緒に、教会の礼拝堂のステンドグラスを見上げたり、

オルガンでの奏楽を聞いたりして過ごす時間、

本当に心が休まる日々でした」と書かれてありました。


その言葉は、

長く礼拝に来ていなかったわたしも大変共感するものでした。



そうなんですよね。

神社仏閣でも同じかも知れませんが、

教会の建物の中に佇む、

そこの長椅子に座る、

礼拝堂のステンドグラスを見上げる、

生演奏のオルガンの賛美歌を聞き、歌う・・・。


そして、同じ空間に、

同じ神を見上げる人たちがいて、

一緒に礼拝する・・・・。


オンラインでも礼拝は出来、

それほど悪くはないと思っていたけど、

この「生の体験」って、

やはりとても貴重で大切だったんだと再度教えられた気がしています。


こういう貴重で大切なものを、

守っていくためにも、

「新しい生活様式」を確立して、

コロナ禍にできるだけ左右されない空間、

時間を作っていかなければなりませんね。


今回、

実際に教会も「新しい生活様式」として、

座る場所を限定や徹底的な消毒、

簡素化した短時間の礼拝などの試み、

一緒の飲食の禁止などをやってみたわけですが、

今後も長期戦になりそう。


だからこそ、

こういう時はいつも以上に頭を使い、

皆の想像力や創造力をフルフルに発揮して、

短い時間でもリラックスして、

安全に過ごせるように、

少しずつでも修正したり、さらに整えたりしたい、

そのように思いました。


今はどこででも、

「ピンチをチャンスにかえる」発想、そして取り組みが急務ですものね。



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6 コメント

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Unknown (ポテト姫)
2020-06-08 07:31:54
 そうですよね。(*´∀`)♪ 私自身は、ちゃんとした教会の体験はないけど、音楽や芸術って、やはり、直に「耳で聴く」「目で見る」「肌で感じる」ことを通して、味わったり、何かを感じたりするのが「大きな意味のあること」なんだと思います。
 嫁ぎ先が、まだお店をやっていた頃、けっこう外国人のお客さんが来てました。現地の魚加工場などで働いてる人たちです。私も、外国で親切にされた思いがあるので、片言の英語で対応すると、それが喜ばれたのか、親しくなったお客さんが何人か。(^.^)
 その中の1人で、アフリカから来た女性と、ある日スーパーで遭遇し、オシャレをしてるので、尋ねてみると、「教会へ行ってきた」とのこと。なるほど、キリスト教の人は、日曜日にそういう習慣があるのか、と、改めて感心したものです。(^_^*)
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Unknown (まんじゅう顔)
2020-06-08 09:35:28
ポテト姫さん、昨日の礼拝で集まった方々と確認したのは「集まること自体が奇跡的なことなんだ」ということ。当たり前って、本当は当たり前じゃないんですよね。
おっしゃるように、特にオルガンの音が会堂に響くのにはちょっと感動しました。今まではそれこそ当たり前に聞いていたんですけどね。「肌で感じる音」とでもいうのでしょうか?

アフリカの女性、いわゆる「サンデークローズ」だったんですね〜。
特に少し前までは、映画でもおしゃれして日曜礼拝に行くというシーンをよく見ましたね。
うちの教会でも今も礼拝には着物という方が何人もおられますが、一方でラフなジーンズという方も。今の日本の教会では、教会によってもずいぶん服装は違うかもしれません。
ただ、キリスト教の信者の方々は、毎週日曜日の礼拝が基本です。ここら辺は、仏教や神道の方々と少し違うかなと思います。礼拝をもって新しい1週間を始めるという感じですかね。
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Unknown (ポテト姫)
2020-06-08 17:52:50
 ドイツに住んでいた頃、日曜日になると、ちゃんとした服を来たお婆ちゃんたちが、教会に行く姿を、よく目にしました。^_^ 近所の人の情報によると、若い人たちは、ついつい忙しさの中で、行かないことが多くなり、「節目」だけ参加するケースが多いとのこと。でも、高齢になって、一人暮らしの人などは、特に「熱心に」通うようになる…との話でした。
 私の住む町は、外国人がけっこう多くて、中でもインドネシアから来た人たちは、結束も強いようで、集会所を毎週日曜日に借り切って「教会」のような活動をしているみたいです。
 集会所を管理しているおじさんの話では、その様子を見ていると「頭が下がる」思いがする…とのことでした。
 仏教の場合、○○学会、とか○○会、とか、団体に所属しないと、「お祈り」とか「勉強」とかには、結びつかないかもしれませんネ。♪( ´θ`)
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Unknown (sweetpotato)
2020-06-08 17:57:43
昨日は、教会での礼拝がかなったところが多かったかもしれませんね。
近隣の教会では、三回に分けて、時短で行ったようです。
信徒の方々は、待ち遠しかったことでしょう。
私はWebでの参加にしましたが、配信の仕方が教会によって様々でしたね。
でも、だんだんと授業を聞いてる感じになってしまい、教会に行っていた時に感じた、スーっとしたような、ほわんとしたような雰囲気は味わえませんでした。
もう少し落ち着いてきたら、私も教会に足を運んで来ようと思います
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Unknown (まんじゅう顔)
2020-06-08 20:55:55
ポテト姫さん、ドイツで経験された出来事、様子、なるほどなあと思いました。
日曜日に集まっておられたということだから、イスラム教ではなくクリスチャンの方々だったのでしょうね。特に外国の方にとっては、教会も一つのコミュニティーですから、余計拠り所にされてたのではないでしょうか。
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Unknown (まんじゅう顔)
2020-06-08 21:00:00
sweetpotatoさん、そうみたいです。関西の友人の教会でもこの日が初めての日だったと言ってました。
三回分けの礼拝というのもすごいですね。その教会なりの工夫だったのでしょうね。
牧師さんの説教を聞くだけだったら、ネットでも大丈夫なんですけど、礼拝と考えると、やはり生ですね。
sweetpotatoさんがお感じになったこと、まさにその通りだと思います。
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