さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

エディンバラ城

2011年01月06日 | 英国


これはむかしなつかし1992年に初めて英国を訪れたときのエディンバラ城です。



城なので砲台が残っています。ここからドンパチやったのかぁ~?



エディンバラ城から臨むスコットランドの北の海です。ここは一年中雲が低く垂れこめていますねェ。
3枚つづきのでっかい写真なのに、大きく載せられません。。。
画像をクリックしてご覧下さい~(T益T)w



ターナーの絵を思わせるような色合いですよね。

ホーリールード宮殿

2011年01月05日 | 英国


  エディンバラにある王室の御用邸、ホーリールード宮殿を訪ねました。エリザベス女王をはじめ、王室の人間がエディンバラに滞在するときに使われるところです。不在の期間は、一般に公開されているのです。内部はやはり大変立派です。「この部屋はどの身分の人が入れる」「この部屋にはこれこれの身分まで」などと書かれているところを見学できるってのも面白いですね。

 ちなみに、なかの土産品店では、チャールズ皇太子とカミラ夫人の並んだ写真が「値下げ」になって並んでいましたが、全然売れていない様子でした。そりゃ~ダイアナ妃なら売れるだろうけどねェ~(^益^)




宮殿の裏手には、古い聖堂の残骸が立っていました。ありがちですが、屋根がないw



 こちらはうってかわって一般の生活w 滞在した安宿の窓から見た風景です。あまり裕福でない家庭はこんな長屋に住むわけですが、英国人は庭にこだわるので、どんなに狭くてもこんなふうに一応プライベートな空間を大事にするのです。


くすんだ街 エディンバラ

2011年01月02日 | 英国


  ここはスコットランドのエディンバラ。今頃は暗~いですよ(もともと街全体が暗いんですけどw)。今頃の日の出は9時前くらいで、日没は4時前です。朝の8時や、夕方の4時は、もう「夜」で真っ暗です。といっても、一日中というか冬の何ヶ月かはずっと断続的に雨なので、短い昼間だっておひさまを見ることはまずないんですけどね^^;
ここは中央駅の前です。。。


国立美術館の品ぞろえは素晴らしいものがあります。しかし外は寒くてしかたがない。



しばらく外を歩いてみますが、とにかく風が冷たく、体の芯から冷え込みます。ここは冬に来るところではありませんな。。。



そういえば、旅行会社の人が言っていました。「この季節はお勧めしませんよ…」



というわけで、みなさん、冬の北国はよしましょう~(^益^;

英国ロイヤルオペラで「ドン・ジョヴァンニ」を見る 3

2011年01月02日 | 英国


 ロイヤルオペラで見た演出がすごかった。まず晩餐の場面で、テーブルの上に金髪・全裸の女が横たわっているではないでーすか。股間には葡萄がひと房乗っていて、それをジョヴァンニがつまんだりしている。すなわち下品な酒池肉林の演出なのである…。

 あのねー、ジョヴァンニは色情狂ではなーい!婚約者のいるおとなしそうな女に触手をそそられる。純情そうな村娘に手を出したくなる。一見落ちそうにない女を口説くのが、モノにするのが好きなの。だから落ちたら用はない(ゴメンネ)。追いかけてきたエルヴィーラは真っ平ごめんだが、彼女が修道院に入るなんて言い出すものだから、それはまたちょっといいな、とか思ってしまうわけ。裸の女をテーブルに乗せる趣味など、断じてあるわけないでしょう。

 英国人の観客のリアクションにも驚いた。オペラ歌手は歌がうまければ拍手喝采、ヘタなら容赦なくブーイングを浴びせるものだと思ってた。すかーす、父親が殺された娘を思う恋人オッターヴィオが心の苦悩と悲痛を歌うとき、おそらくは同情からだろう、観客は励ましの(?)大拍手。声は通らないし、ブーイングを構えていた俺はぶっ飛んだ。
                    
w(゜゜)wソウクルカヨ

 
だが驚くのはまだ早かった。ジョヴァンニが石像の亡霊に引きずりこまれ地獄に落ちた最後の場面だ(ちなみに地獄の穴は舞台の奥だったので、視界の悪い3階席からは見えなかったのだが)。なんと・なんと・なんと!アンナ、エルヴィーラ、村の娘など、一同全員がにっこり笑い、お茶を飲んで終わるのだ~!

               紅茶の国エゲレス… 
_|\O_

 
女たちは、ジョヴァンニに惚れていたんだぞ。やつが放蕩者だろうが、自分に婚約者がいようが、隣の女と争奪戦になろうとも、合意の上で、自分がジョヴァンニの女になりたいと思っていたのだ。一緒に地獄について行きたい、とまで思うかどうかはわからぬが、ジョヴァンニが死んで、そろって笑顔でお茶を飲む心境であるわけなかろうが。

 演出も、拍手をする観客も違う世界のものだった。モーツァルトが情熱的なスペインの風土に育まれた伊達男ドン・ジュアンの伝説に目をつけ、因習や社会風紀と、人間の自然の欲望や現実との間に揺れ動く微妙な価値判断を(エルヴィーラは「わたしはこんな男を愛してしまったの」と、自ら心の葛藤を歌う)、華麗な旋律とユーモラスな台詞で編み上げたこの作品を、偏狭な「道徳」で切り捨ててしまう英国的演出に、激しい違和感だけが残るのであった。