「雪女」と「姥捨て山」
友人と酒を飲んでいたら、いつまで酒を飲めるか、年金生活になったら難しいかもな、なんて話になり、そいつは「ジイさんたち、まとめて始末できませんかね」などと言い出した。古ぼけた居酒屋なので、まわりはジジーばかりだというのに。「物騒だな」と返すと、「だって俺らの年金はすげー減らされますけど、いまのジイさんたちはすげーもらってますよ」と不満を返してくる。「お前がジイさんになったら、若い連中に始末しろって言われるぞ」と言ってやると、「そうですね、がっはっは♪」と笑っていました。
こいつは満員電車に乗るとき、「つめろよ」とムッとするけれど、乗り込んだ瞬間に、次に乗ってくる客に対して「次のにしろよ」とムッとするタイプでしょう^^;
この話で思い出したのが、先日書いた「青梅の雪女」です。東京の青梅が舞台とされるラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の「雪女」では、雪女はジイさんには息を吹きかけて凍死させますが、横にいた美青年は「若くていい男だから」と殺しません。ジジーはこの世に用無しってか?「姥捨て山」はババーを捨てるしな。こういうのを「棄老伝説」といって、世界中、どの時代にもその原型は見られるようです。
むかし話、すなわち人々の間で長年語り継がれてきた民話というものには、人間の本性が基軸に描かれており、それはしばしば残酷であったりエグイものであったりするのです。