続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

どこまでも。

2011-06-16 07:01:03 | 日常
『下流の宴』というドラマ、見ていないのでよくは知らないけれど、骨子はほぼ了解。

 人生は、というより歴史は上昇ばかりを辿らない。
 どこまでも、優等生的、上流に安泰とは限らない。

 人生には覚悟が必要、どこまで堕ちても胸を張って生きる。そもそも落ちるという卑屈な考えが人生を傷つけているのかもしれない。
 人として生まれてきた運命を丸ごと受け入れる。赤塚不二夫ではないけれど「これでいいのだ」と肯定する。

 要するに比較という屈辱を取り払えば楽しいはずの人生を、常に比較せずにはいられない煩悩を払拭する困難が人をうろたえさせる。


 そんなことは百も承知で、小さな凸凹に一喜一憂する。
 そういう凡人の資格をもって生きているわたし・・・。

 生きて在る限り、どこまでも続く・・・。

『風の又三郎』16。

2011-06-16 06:47:46 | 宮沢賢治
 この物語は、六年生の一郎の眼によるところが大きい。高田三郎(風の又三郎)は、見られる者である。

 六年生は六(ム)と読んで、無。
 
 在るけど、風のように消えてしまう「無」の世界を描いている話。
 六年生の一郎は、一(uni→univers)宇宙的な存在の化身だという捉え方をしてもいいと思う。

『城』512。

2011-06-16 05:52:01 | カフカ覚書
城のほかの人たちの従者に手を焼かされるのだったら、クラムも、すこしはわたしを気の毒におもってくれるかもしれませんが、いくら頼んでも、あの連中のことは聞き入れてくれません。

 従者/dienerschaft→Dinst/勤務、機関。
 気の毒/Racksicht→Rache sicht/復讐、見解。
 頼む/Bitten→wittern/察知する。

☆ほかの機関に堪えるくらいだったら、クラム(氏族)も、すこしは復讐の見解をもってくれるかもしれませんが、いくら察知しても、在住者を聞き入れてくれません。