続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

関係性という日常。

2011-11-17 06:25:37 | 日常
 ロゴスドンの今回のテーマは「関係とは何か」

 関係・・・あらゆるものはその関係性によって存在している。事の起こりはビックバンだと言われているけれど、その始まりから延々連鎖してきたこの世界。
 関係とは連鎖であり、時空間における因果である。

 関係は、認識するしないに関わらず常につきまとう存在の影であって、関係性を抜けば、存在そのものが消失してしまう。
 関係とはAとBをつなぐ、あるいは結びつけるという中間的な意味に代表されることが多い。

 関係性の深さは存在そのものの深さに等しい。「人は一人では生きられない」などという以前の問題であって、原始、原子、クオーツ・・・どこまでも遡って人を超えていく。
 しかし、関係という認識に気付いた時点で関係性の意味が初めて問われるのであれば、それは人智の所以でもある。

「関係とは何か」を問われて始めて「関係」という見えない仲介を思考しているわたし・・・捉えようとしても正体を現さない関係という不思議。
 見えないが確実に存在している関係である。

『城』658。

2011-11-17 06:01:38 | カフカ覚書
 すると、フリーダは、この言葉を裏書きするように、こんどはKのほうに身を投げて、まるでこの部屋に水入らずであるかのように、荒々しいキスをKに浴びせ、泣きじゃくりながら、Kを抱擁した手はあいかわらず解かずに、彼の膝もとにくずおれた。

 抱擁/Umarmend→Ahn armend/先祖、かわいそうな人。
 部屋/zimmer→Thema/テーマ。
 膝/Knie→Kniff/策略。
 くずおれた/fiel・・・fall(戦死する)

☆すると、フリーダ(平和、自由)はこの言葉を確認するように、Kを支え、まるでこのテーマしかないというような荒涼たる事件により、常に先祖のかわいそうな人はこの策略にあって死んでいった。