昨日は深田台と田戸台にある横穴や貝塚跡を見てまわった。
懐かしい田戸台・・・ああこの道はいつか来た道・・・。
叔母さんがお祭りの菓子券を買ってくれていて山車を引くために駆け下りた細い坂道・・・(田戸台から富士見町の通りに抜ける道)
みんな土ぼこりの道だったのに舗装され、近隣の家々も新しい様相・・・(でもこのカーブこの勾配は昔と同じ)懐かしさがこみ上げていると、
「ここが黒田牧場のあったところです」と先生が指差した。
「こんなところに?」と不審がる人もいたくらい人家の立ち並ぶ山間に唐突にある平地。
「黒田牧場まで毎日牛乳を買いに行ったんだぞ」と父から聞かされて育った。(ここだったのか・・・感慨しきり)
「うちは田戸台○○です」「ぼくのところは田戸台△△ですからこの辺りは何番地なんでしょうねぇ」などという会話。
遺跡調査といっても、馴染みの場所に居住する人たちがその昔を教えてくれるならという興味で参加している傾向。
だから田戸台で生まれ育った従兄弟のHちゃんも参加・・・。先生は「調査といっても過度な期待はしないでください」とおっしゃっていたけど、まぁお気楽な散歩気分。(それに「県立大学駅というより皆さんの(年配者らしい)お顔を見ると安浦駅のほうが馴染みがあるでしょう」って言ってたけど、もっと前は「公郷駅」)
朝の雨も上がって気分は上々の秋の夕暮れ・・・。
そういえばバスから一緒に降りたTさん、生まれも育ちも大矢部らしい。
「この辺りにも貝塚はあったの。セブンイレブンの裏手のSさん宅。」といい、「この道路も京急の駅まで一本道だったのよ。ずいぶん変わったわ」とため息をついた。
海に囲まれた温暖な三浦半島、古代の人たちはあちこち移動しながら生活していたのかもしれない。浦(安浦)だの、津(大津)などの地名がその地形を髣髴とさせるけど・・・埋め立てられてその面影は消失している。
懐かしい田戸台・・・ああこの道はいつか来た道・・・。
叔母さんがお祭りの菓子券を買ってくれていて山車を引くために駆け下りた細い坂道・・・(田戸台から富士見町の通りに抜ける道)
みんな土ぼこりの道だったのに舗装され、近隣の家々も新しい様相・・・(でもこのカーブこの勾配は昔と同じ)懐かしさがこみ上げていると、
「ここが黒田牧場のあったところです」と先生が指差した。
「こんなところに?」と不審がる人もいたくらい人家の立ち並ぶ山間に唐突にある平地。
「黒田牧場まで毎日牛乳を買いに行ったんだぞ」と父から聞かされて育った。(ここだったのか・・・感慨しきり)
「うちは田戸台○○です」「ぼくのところは田戸台△△ですからこの辺りは何番地なんでしょうねぇ」などという会話。
遺跡調査といっても、馴染みの場所に居住する人たちがその昔を教えてくれるならという興味で参加している傾向。
だから田戸台で生まれ育った従兄弟のHちゃんも参加・・・。先生は「調査といっても過度な期待はしないでください」とおっしゃっていたけど、まぁお気楽な散歩気分。(それに「県立大学駅というより皆さんの(年配者らしい)お顔を見ると安浦駅のほうが馴染みがあるでしょう」って言ってたけど、もっと前は「公郷駅」)
朝の雨も上がって気分は上々の秋の夕暮れ・・・。
そういえばバスから一緒に降りたTさん、生まれも育ちも大矢部らしい。
「この辺りにも貝塚はあったの。セブンイレブンの裏手のSさん宅。」といい、「この道路も京急の駅まで一本道だったのよ。ずいぶん変わったわ」とため息をついた。
海に囲まれた温暖な三浦半島、古代の人たちはあちこち移動しながら生活していたのかもしれない。浦(安浦)だの、津(大津)などの地名がその地形を髣髴とさせるけど・・・埋め立てられてその面影は消失している。