続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

生地、大好き。

2015-02-14 06:44:22 | 日常
 生地ならどんな物でも見れば沸き立つ興奮を抑えることができない。つい先日も、倒産品など雑多なものを安く売っている店先にダンボールに入った生地をを見つけた。
 先客が品定めをしている。わたしも座り込んで・・・「生地を見ると、黙って通り過ぎることが出来ないんです」というと、「わたしもです。古い生地なんかはもっと好きです。古布(着物地)のサークルに入っているんです」と先客。
 二人でさんざん見て、彼女は「使いきれないほどありますから・・・」と帰っていった。わたしは、わたしも整理がつかないほどあるけれど二点を購入。

(どうしてこうなるの?)自分に聞きたい。

 かって勤め先の隣りの倉庫(元は工場)に山と詰まれた生地を見たことがある。倒産した会社が隠して持ち込んだ生地の山・・・事務員は健気にもそれを着分に切って行商よろしく「今日は市大病院の看護婦さんに売って来たわ」などと言いながら、まめに地味に売りさばいていた。(メーター千円以上の品を四百円程度で売っていたらしい)
 その元社長はわたしを見ると、「結婚祝いにどれでも好きな物を持っていきなさい」と言ってくれた。
 結局あの山はどうしただろう・・・。


 生地はわたしの人生そのもの・・・生地と共にわたしが居る。生地を見ていると心が和む、精神安定剤でもある。どんなに悲しくても生地を見ていると、その悲しみを肯定できるし、生地を触るときの至福は他に代え難い。

 生地の整理(始末)に悩みながら、生地の存在に救われている。

『冬のスケッチ』25。

2015-02-14 06:36:14 | 宮沢賢治

   仕方もありませんけれど
   これではあんまり
   みちがくらすぎはしませんか。
        *
   いつの間にやら
   銅粉をまいてけむってゐた山も見えません
   し、
   藍の山肌がゴリゴリの岩にかはり
   川の向ふに黒くそびえて居りました。


☆至(ゆきつく)法(手だて)は、換(入れ替え)導くことである。
 粉(入り乱れ)散(ちらばっている)記を含んでいる。
 千(たくさん)の考えを告げる意(気持ち)である。

『城』1879。

2015-02-14 06:14:44 | カフカ覚書
Kは、このような夢想とたわむれ、夢想は、彼とたわむれた。そのあいだ、ハンスは、母のことを考えながら、Kの沈黙を注意ぶかく観察していた。それは、むずかしい病気を治す方法を見つけだそうと沈思している医師の顔色をうかがっている様子にそっくりであった。


☆それによって無力になるだろう、そして空想とたわむれ、空想は彼とたわむれた。そのあいだ、ハンス(国/団体)は母(責苦)のことを考えながら、Kの沈思を心配しながら観察をしていた。それは重要な事件における先祖の救助手段を発見しようとする方法のようだった。