続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

わたしのブログ。

2015-02-21 06:26:48 | 日常
 筆不精のわたしがパソコンのおかげで、指を動かすだけで言いたいことを書いている。人前では思ったことも言えず、自分というものを表明するなんてことは有り得ないのに、ブログのお蔭で何かブツブツ言っている。

 軟弱で他人思考に流されてばかりのわたしが、ここではこっそり自分の意思をつぶやける。そして誰かしらが目にしてくれている。その誰かしらに向かって細々と何かを言っている。見た人がスルーしたって構わない、誰かに向かっているという姿勢がわたしを励ましている。

 何気なく書いている、特別な意図はない。抗議や自説を広めようなどという意気込みもない。黙々と淡々と日常を綴っているだけである。


 けれど、ふと気づく。
 これらは、誰かに向かって書いているのではないことに。
 向かっているのは自分自身である。そして、このブログは書いている本人であるわたしを励ましてくれている。わたしが書いたものが、わたしに向かって立ち上がり、わたしを励ましてくれている。思いがけず気づいたこの事実に呆然と、しかししっかり肯いている。
 そうだ、このブログは、このわたし自身を励ましてくれている唯一の存在なのだ。わたしの影だと思っていたものは、わたしに先回りして道を開き、手を振っている。

 道連れ、相棒、かけがえのない友人・・・馴れ合いに甘んじることなく襟を正してお付き合いしていきたい。

『冬のスケッチ』32。

2015-02-21 06:12:24 | 宮沢賢治
   げに和賀川よ赤さびの
   けはしき谷の底にして
   春のまひるの雪しろの
   浅黄の波をながしたり


☆話の化(形、性質を変えて別のものになる)は、千(たくさん)あり、釈(意味を解き明かすこと)を告げる。
 綴(つづり)を悛(改め)設(こしらえ)散(ばらばらになったもの)を、構(組み立て)把(つかむこと)である。

『城』1886。

2015-02-21 06:01:10 | カフカ覚書
ハンスも、そのことは十分に承知していて、そのことを納得するために、いまさらKを他の人たちとくらべてみるまでもなかった。彼自身は、いまのKが母に会ったり、母と話をしたりするのをなんとか防ぎとめたいとおもっているくらいだった。


☆ハンス(国/団体)もまた、それをみるために、死んだ人々を観察する術のないことをはっきりとそれを認めていた。彼自身は、最も愛する母(母なるもの)に、今のKが会ったり、話したりすることから守りたいと思っていた