続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

神さま、お願い!

2015-02-28 06:26:03 | 日常
 十二月三日の「歩こう会」で足を痛めてから、すでに三ヶ月が経とうとしている。
 十二月いっぱいは足を引きずり、ようやっとの態。一月の本町CCへ通う時など「イチ、ニッ、サン・・・シ」とつぶやきながらの(ア痛タタ)歩行。
(いったい何時になったら、まともに歩けるの?)(もうダメかもね)治る見込みなんかなくて、劣化したまま耐えるしかないのかもしれない・・・。
 膝が痛み始めた頃、杖を付いた人に、それとなく治療法を聞いたことがある。「整形にも整骨院にも行きました、通ってもいます。でも・・・結局、諦めることですね」「・・・」返す言葉が見つからず、ただ(頑張りましょうね)の暗黙の約束。


「体重を落として下さい、そして運動です」整形の医師の助言。これしかないと思いながら(食べるほかに何の愉しみがあるの?)と開き直ってしまう自分がいる。(歩かなくちゃね)って口だけ・・・「歩こう会」も休んでいる、休まざるを得ない状態。

 暗、暗、暗・・・このままずっと?

 昨日は例の女子会(?)で焼木坂から粟田までバス停一つをいつものように歩いた。思いがけず足が上がった。(もしかして、治るかもしれない)
 少しづつ回復してきている。今回の痛みは経験したことのない辛さだった。座っていれば何でもないから日常生活にそれほどの支障は出ない、故に歩かない、出かけないの悪循環。


 でも今日は博物館へ行く。第六回/最終日だけれど、よくぞ六回の出席を果たしたと、講義内容よりも這い蹲っても出席を敢行した自分に苦笑い。(初回はまさに十二月六日、左足は床に着けないほどの痛みがあった)


《神さま、お願い!》
 まともに歩けるだけでいいの、ずっと、死ぬまでわたしを歩かせて下さい。

『冬のスケッチ』39。

2015-02-28 06:14:20 | 宮沢賢治
   やみとかぜとのなかにして
   こなにまぶれし水車屋は
   にはかにせきし歩みさる
   西天なほも 水明り。
        *

   やみのなかに一つの井戸あり
   行商にはかにたちどまり
   つるべをとりてやゝしばし


☆推しはかり、赦(罪や過ちを許す)を憶う。
 あまねく逝(死にゆく、人が死ぬ)を展(くりひろげ)推しはかる。
 冥(死後の世界)が逸(かくれている)聖(おごそかな)図りごとがある。
 暗(秘かな)章(文章)である。

『城』1893。

2015-02-28 06:03:54 | カフカ覚書
きみ、こんなステッキは、いくらでも作れるんだよ。もしこの計画がうまくいったら、きみにもっと美しいのをつくってやろう、とKは言った。すると、ハンスは、枯れの狙いはほんとうにステッキにだけあったのではないかと疑いたくなるほど、Kの約束に大喜びをして、うれしそうに別れを告げ、しかも、Kの手をかたくにぎりしめて「じゃ、あさってですね」と言った。


☆このような定めは回復することできるんだよ。もしこの構想がうまくいったら、ハンス(国/団体)にはさらに素晴らしいものを作ってあげようといった。ハンス(国/団体)の狙いはこの定めにだけあったのではないかと疑いたくなるほど、Kの約束を非常に喜び、嬉しげに別れを告げた。
「そう未来にはね」