風邪ひき後の病み上がり…しかも急激な冷えに見舞われた昨日のわたし、それでも雨の降る前に催すことが出来た横須賀市長瀬の『ドント焼き』を見ることが叶い、ホッとしました。
お神酒で乾杯、着火、燃え上がる炎の凄まじさを見学しながら、お接待のお汁粉(甘酒)もいただいて参りました。(福銭も配布されたようでしたが気がつかず、残念)
消防車2台・消防隊の方も控えた浜辺での『ドント焼き』
しばらく眺めた後、先生に「自由解散ですか」と伺うと、「最後に燃えた松の木をもらって帰るらしいですよ」という。
町の役員の方に「焼けた木を頂けるとのことですが時間は大分かかりますよね」と伺うと、「別に少しづつ燃やしています」といい、残った一本を手渡してくれた。
帰りは開国橋から久里浜駅までをバスの乗り遅れた方と一緒に歩いた。30代と思われるその人は「暮れも正月もなく子供たちの施設で働いています」と言い、今朝は夜勤明けだった由。
ちなみに瀬川先生は早朝、野比で行われる『ドント焼き』をも見学するため朝4時からネットカフェで待機なさったとのこと。努力の積み重ねが大きな成果に結びつく日を期待しています!(先生は博物館のNewface)
瀬川先生・稲村先生ありがとうござました。
『空気の平原』
連なる山脈のこちらは岩の荒地、不毛地帯である。にもかかわらず肥大化した一葉が雄々しく立っているという図。空の領域はどこまでも広がりを見せているが、空気の平原と称せられるかは疑わしい。空気は地球を被う大気圏のことであり、無色・透明・無味・無臭の気体である。従って、どこにでも入り込み満たすので、形は特定不能であり「平原」というにはどの角度から見ても当てはまらない。
検証するまでもなく「空気の平原」というのはあり得ない状況を示した端的な一言である。
地球の条件、物理的な条件を根底から覆している。まるで現実世界から隔絶した条件を提言しているのである。
《そんなことでだまされてはいけない/ちがった空間にはいろいろちがったものがゐる/それにだいいちさつきからの考へやうが/まるで銅板のやうなのに気がつかないか》宮沢賢治『小岩井農場』より
《物質全部を電子に帰し/電子を真空異相といへば/いまとすこしもかはらない》宮沢賢治『五輪峠』より
遠くに見える山脈と、手前の岩の荒地では世界が隔絶されているのかもしれない。あり得ないような肥大化した一葉に鑑賞者は焦点を奪われ、見逃しているもの・・・それが『空気の平原』であるとすると、空気の平原は現世と異世界との境界を指していると思われる。
縦も横もない異世界との仲介に、見えない『空気の平原』(質的変換)があると言っている。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)