先日某所でご一緒した方は上品で本当にいい方だった。
そのせいかこちらも調子に乗り、明け透けな物言いで、百円ショップでいかに物を多く買いそろえたかを自嘲交じりではあるけれどトクトクと話した。
親しく接し、好意的な会話が続いた。
けれど帰り際、何気に「逗子のどの辺りですか」と覗うと、
「披露山です」という。
(えっ、あの披露山?お金持ちがたくさんお住いの・・・)
そういえば着衣も、物腰も《お嬢さん》。百円ショップの話なんかしなければよかったなぁ(後悔しきり)。
彼女家に帰って「お父様、今日は面白い方にお会いしましたのよ」なんて話してないといいけど、Ah…。
それに、あんまり山が物凄いので、その白熊のやうな犬が、二疋いっしょにめまひを起して、しばらく唸って、それから泡を吐いて死んでしまひました。
☆賛(たたえる)仏の精(こころ)を吐く。
幽(死者の世界)のことに逼(せまる)記であり、拝(敬い尊重する)法(神仏の教え)を図る試みである。
それで、人びとは、さっきも申しましたように、事件全体がまるくおさまれば、大喜びしたことでしょう。わたしたちが不意に出かけていって、事件はもう片づいたと言ってやるか、たとえば、これはある誤解にすぎなくて、その後すっかい氷解したとか、たしかに過失があったのだが、すでに行為によって償われたとか、あるいは、これだけでも十分だったおもうのですが、
☆ただ、人びとは、すでに申しましたように、事件全体が無事に解決したら歓迎したでしょう。不意に先祖の汚点が生じ、報道された時にはすでに整理されていたと言い、ただ先祖は、誤解を十分解明しなるほど過ぎ去ったこととして穏便に済ませることで、人びとは十分(納得した)とおもうのですが、