続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『まなびかんトコトン学校 紙芝居編』第五回

2017-01-29 07:43:13 | 市民講座
「まなびかんまつり」ではグループごとに実演・・・(わたしは)たった一言いうのだけなのにドキドキ。
 人前に立ったことのない臆病さを克服…こんな年になって自分を鍛え直そうって、無理?

 残り少ない(?)時間を大いに愉しみたい。悲観ばかりでは・・・。

 というわけで、実践紙芝居の幕開け(まあ、わたしは進行係を地味に勤めただけだけど)。
 なんとか無事に各グループが終了。

 午後は先生方(宮崎二美枝先生、片岡直子先生、西田芳子先生、宮崎奈津子先生)による実演。
 大いに参考になると共に、こんなにできるだろうかという不安が大きく膨らんできて気分は疲労困憊。

 でも、自分を変えていくことに…挑戦したい!!
 
「あなたが紙芝居を見せたい相手は誰ですか」という質問。
「・・・」
 自分自身への挑戦なんて言っている場合じゃない。少しでも相手に響き届けること、むしろ自分を無くして何かを伝えることを努力の目標にしたい。

 先生方はじめ、職員の奥泉さん、お世話になりました。

マグリット『会話術』

2017-01-29 07:10:16 | 美術ノート

 『会話術』

 湖と林が交錯しており、その盛り上がる(盛り下がる)曲線が《Amour 愛》という文字を浮かび上がらせている。
 水平線は絶対の真理であるが、それが空中にまで延びている不条理、物理法則の崩壊。
 第一、二十六日(下弦の月)の月が南中するのは真昼であって、その時刻には星は見えない。
 大きな林(森)の背後に建屋が見えるが、遠近法に従えば大き過ぎ、窓などの規格を考えると暴力的な巨大さである。
 暗い背景に、純白を示す鳥(白鳥)は奇妙であるし、《愛》というテーマにしては迫る相手を袖にし、そっぽを向いている。

 全てがちぐはぐでかみ合わない情景を『会話術』と称している。真実の律がどこにも見えず、本質をことごとく外している。一見美しく静謐なムードであり、個々を切り離し部分的に見ればある程度の納得はできる。
 しかしそれぞれの主張に差異がある。
 それぞれが騒がしく主張し世界の律を混迷に陥れている、愛とはかくも混沌の迷いの時空にあるものなのだろうか。
 愛の中に、深く潜行し支配する会話術は、むしろ混迷をきたす魔術かもしれない。


(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)


『城』2541。

2017-01-29 06:48:54 | カフカ覚書

それに、そんあふうにして考えだしたどんな名案も、実際にはなんの役にもたちませんでした。どの思いつきも、アマーリアなしでは実行できなかったからです。わたしたちが考えたことは、すべてした相談にすぎず、しかも、その結果がまったくアマーリアの耳にとどかないし、たとえ耳にはいったとしても、沈黙にしか出会わなかったでしょうから、所詮、無意味なした相談だったわけです。


☆際立つような着想もアマーリアなしでは実行に至らず、全て事前の協議に終わり、その結果がアマーリアまで届かないし、たとえとどいたとしても、沈黙に出会うしかなかったのです。