『手の力』
水平線の律を不変な基準として、城・コップ・バラをレンガ積みの上に並置している光景を見て、城が小さいのかコップやバラが巨きいのかを判別するのは難しい。と言うより、どの大きさを基準にするかで他の大きさが決まるという不確定な装置である。
城を集積されたデータに基づき大きさを決定すれば、傍らのコップやバラは異常な巨きさに見え、コップやバラを基準に見れば逆の現象を引き起こすという視覚の変動がある。
一枚の絵(空間)の中で物体が動くという不条理はなく、Aを認識すればB(他)はそれに照準をあわせてしか見ることが出来ないという道理である。
視覚におけるデーターの集積は崩し難く強い信念と化し、世界はあるがままに認識され疑う余地を残さない。
しかし、マグリットは『手の力』を提示する。
限りない表現力の魅惑であり、物理法則をも打破する力を内包している手の力、すなわち表現の自由である。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
「どうもさうらしい。決してご遠慮はありませんといふのはその意味だ。」
☆訣(人との別れ)の縁(つながり)を慮(あれこれ思いめぐらす)。
異(他とは違う)実(内容)である。
みんなのなかでいちばん弱っていたのは母でした。共通の悩みばかりではなく、さらに家族の者めいめいの悩みまでともにしてやっていたからなのでしょう。わたしどもは、母がすっかり変わってしまったのに気づいてびっくりしましたが、わたしたちの予感では、このような変化は、やがて家族全員のうえにふりかかってくるにちがいないという気がしました。
☆わたしたちの尽きた(死)の最も大きい弱点は気分でした。相互の苦しみばかりでなく、一族の者も個々に苦しみました。わたしたちはその変化に気づき驚きましたが、このような状態は一族全体になるだろうと予感しました。