〔宮崎二美枝先生の授業〕
先生は紙芝居の世界を網羅されており、参加者の持参する紙芝居のほとんどの原作・脚本・絵の作家をご存じ。
演じられる呼吸も《あぁ、こうすれば》の妙技、感心しきりのわたし・・・時の経つのも忘れるほど。
参加者の中から三人が前に立ち実演、それぞれ一生懸命(わたしもできるかな?)。
「まなびかんまつり」では、進行係を仰せつかった。実演者の鈴ちゃんにはできる限りの声援を送るつもり。
声にはいろいろな種類がある。難解すぎるけど、呼吸や間の取り方・・・何よりも作品を忠実に再現するため理解と努力を怠らないようにしなくては!
いつか人前で…ちょっと眩暈がするけど、大丈夫かな?
宮崎先生ありがとうございました。
『星座』
星座が描かれているわけではなく、地平に立つ二本の樹。ごく自然に見える樹の背後に、それ(自然の樹)を被うかのような一葉を模し肥大化した樹があり、さらに遠方に島か小山のような繫みがある。
黄色の帯状の面は、水平線(つまり海)なのか雲の果てなのかは定かではない。
下方は白雲だが次第に色の濃い雲になり、天頂に向かって青空に変化していく兆しが見える。
しかし、その青空を覆い隠すような赤い幕がセレモニーめく垂れており、その中心に鳩とオリーブの葉が紋章のように飾られている。
これらを『星座』と称している。
二本の樹は虚偽(模樹)と現実(自然)、黄色の水平線は海を模しているのか不穏不明の領域である。(半分を島と雲で隠している)
赤い幕は天空に宙づりされているわけではないから、この空間の手前には巨きな建屋の開口部があると思われる。
この巨きな建屋の存在が何かは不明であるが、明らかに人為的な意図が隠されている。
鳩とオリーブの葉は『大家族』の象徴であり、始まりである。
『星座』を考えてみると、恒星を群によって区分けし、それぞれ空想(イメージ)をもとに何かを当てはめ命名したものである。根拠というには少し無理があるが、命名されたものは、決定でもある。
虚実入り混ぜた思いも、決定となれば承服せざるを得ない。混沌とした思いに反旗を翻すこともなく伝承されている『星座』、世界はそれに似た構造を成してはないだろうか。
マグリットのため息が聞こえる。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
「ぼくはもう戻らうとおもふ。」
「さあ、ぼくもちゃうど寒くはなつたし腹は空いてきたし戻らうとおもふ。」
☆霊(死者の魂)に換える覆(ひっくりかえし)は、空(根拠がない)例(たとえ)である。
みなさんは、この事件を口にすることをよろこんで断念してくださったでしょう。不安ということもあったでしょうが、とくにこの事件が厄介だったがために、わたしどもから離れていかれたのですから。
☆みなさん、この事件の論議を放棄したことでしょう。不安もあったでしょうが、この事件がひどく深刻であったために、わたしたちから離れていったのですから。