『快楽』
虚ろな目をした少女が鳥にかぶりついている。生の鳥、血の付いた内臓・・・。
レース飾りのついた純白のショールや袖口は良家のお嬢さん、あるいは何かの式典を意味する服装である。
背後の木に止まっている4羽の鳥、立派な鶏冠は雄だろうか、見ないふりをしながらじっと様子をうかがっているようにみえる。そっと覗き見る小鳥、上方を見るポーズで目を少女に向けている鳥、顔の部位が見えない鳥もいるが、すべからくこの少女に関心を示している。
鳥にとっての身内が今この少女に食われつつあるという状況。
しかし、鳥たちは敵対視するのでも恐怖におびえるのでもなく、無関心を装いながら関心を示している。
鳥の血肉を食うという恐怖体験をしている少女は、原始人でもなく文明儀礼をわきまえているであろう上質の着衣を身に着けている。
このおぞましく見える景は、どんなおしとやかな淑女でも必ず通る処女喪失ではないか。快楽の原点は、このように残酷で凄まじい景である。
立派な鶏冠飾り、突き刺すような嘴をもつ雄の興奮、雌の鳥たちの危惧・・・誰も手を貸すことの出来ない暴挙。
『快楽』の理はおぞましくも静かに潜行してくものかもしれない。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
「あるきたくないよ。あゝ困ったなあ、何かたべたいなあ。」
「喰べたいもんだなあ」
二人の紳士は、ざわざわ鳴るすゝきの中で、こんなことを云ひました。
☆魂(たましい)を化(教え導くために)嘱(ゆだねる)字の図りごとである。
審(つまびらかにする)思いで、冥(死後の世界)を衷(心の中)で運(めぐらせている)
ですから、わたしたちが家から出ていき、過ぎたことにはふれず、どういうやりかたによってであれ、もうこの問題の片はつけたのだということを自分たちの態度によってしめしさえすれば、また、一般の人たちのほうでも、どういうふうな問題であったにせよ、この事件はもう二度と話題にのぼらないだろうと確信してくれさえしたら、それでもよかったかもしれません。
☆ですから、わたしたちが再び出ていって、過去のことには触れず、この事件の傷にはいかなる方法をもってしても伏せて見せれば、世間の人たちの方でも、そういうことがあったにせよ、この事件は再び論議されることはなく、無関心でいてくれたら忘れ去られたかもしれません。