続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

紙芝居のリハーサル。

2017-07-06 07:50:24 | 市民講座

 来る実演に向けてのリハーサルをグループで実施。

 リーダーは全体の持ち時間をどう進行させたらいいか思いあぐねているに違いないから、一丸となって仕上げに協力、足を引っ張らないようにしたい。

 わたしは「からかさおばけ と のっぺらぼう」をやらせてもらうので、唐傘を知らない子のために、(紙と竹を割いたもので作り、油を塗ったものです)という説明の足し(?)になるように折り紙で傘を作成。
 下手過ぎて笑われるかも・・・。


デュシャン『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』

2017-07-06 06:54:24 | 美術ノート

 『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』

 首を傾げざるを得ないタイトルである。
〈彼女の独身者たち〉の意味がわからない、すでに文章が壊れている。〈彼女の独身者たち〉を仮にAとおくと、(Aによって裸にされた花嫁)になるが、花嫁自体の特定も定かではない。それぞれの名詞は意味を成すものであるが、主張の不明瞭な単語の並列は意味を破壊させ、限りなく《無意味》へと追放されてしまう。
 とくに最後尾の(、さえも)は否定しつつ、強引に受け入れるという状況をさす仮定の言葉である。

(大ガラス)と呼ばれる作品に関していえば、《偶然・無意味・解体》の上部と《崩壊・無意味・仮想》の下部の一体化であり、どこまでも無限に続く無意味(存在するが生産的な要素もなく解体を免れない物)に他ならない。

 デュシャンは《無に帰するサイクル》を熟考している。男と女の差異を染色体一つの偶然の配列間違いであるかのように、《存在以前》に逆行し、原初と終末の彼方を循環として捉えようとしている。

(大ガラス)のひび割れは鑑賞者を至近に寄せ付けず、恐々覗き見る世界の秘密に鑑賞者は頭を抱えざるを得ないという構成である。


(写真は『DUCHAMP』TASCHENより)


『水仙月の四日』86。

2017-07-06 06:30:57 | 宮沢賢治

丘も野原もあたらしい雪でいっぱいです。雪狼どもはつかれてぐつたり座つてゐます。雪童子も雪に座つてわらひました。その頬は林檎のやう、その息は百合のやうにかをりました。


☆究(きわめる)也。
 幻(まぼろし)の説(話)である。
 説(話)を弄(思いのままに)挫(ねじまげる)。
 教(神仏のおしえ)の倫(人の行うべき道)は襟(心の中)の則(決まり)であり、百(たくさん)の号(叫び)がある。


『城』2687。

2017-07-06 06:17:12 | カフカ覚書

正式の使用人ではありませんが、それでも偶然うまく仕事にありつけるのです。たまたま使用人がその場にいないことがあります。使用人を呼ぶ声がします。


☆小舟は偶然のことであり、現場不在を見出します。正しく無造作ではなく人々を急かして呼ぶのです。