とうとう、お客さんの前で紙芝居の実演をする日がやってまいりました。
ドキドキですが、(まあ何とかなる)という楽観で、やり終えました。
30分、二回の公演でしたが、お客さんを飽きさせないように、手遊びなどを間に入れる工夫や紙芝居の内容の変化でリーダー(チーム・きりん)の指揮のもと何とかつなぐことができました。
大柴さん、スタッフの方々のご協力ありがとうございました。(ポスターも作ってくださいました)
『困難な航海』
航海というのは、某所から目的地にまで海上を船で向かうことであり、その距離における時空が困難であるという。
荒れた海を見つめる眼、身体はすでに肉体を失い木(ビルボケ)と化している。立っているが少々傾いており不安の態であるが、床は柔らかいピンクの優しさと安定を呈している。
ビルボケ(擬人化された物)の視線が水平線上にあるということは、この部屋は水平線より下に位置している、つまり、海中にあるという不条理である。
雷鳴轟く海上、静かな室内。この二つの空間は隔絶されている、例えば《現世と来世》というように。
来世(冥府)を知らないが、大家族に象徴されるハトが木製の手で押さえられている。飛んで行って足が地に着く冥府を知らせないように、冥府を大家族に増やさないためにと想像される。
おそらくは《現世と冥府》を隔てる板には四角く穴が開けられ、カーテン(暗幕)も持ち上げられている。どうしてもどうしても覗き見たい現世の様子である。
使用不可になった板が無造作に立て掛けられた室内にはすでに人間の生活を助けるものも、人間を彷彿させるものも欠如している。伝説のハト(作り話)のほかは、あらゆるものが質的変換をなされ、心理的な空間と化している。
『困難な航海』、《人生行路を渡り、こちらへ向かう船を、来世(冥府)では執着の眼差しで切なく見つめているであろう》という想像の図である。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
そして日あたりのいゝ南向きのかれ芝の上に、いきなり獲物を投げだして、ばさばさの赤い髪毛を指でかきまはしんがら、肩を円くしてごろりと寝ころびました。
☆禍(不幸)の難(苦しみ)の講(話)は刺(突きさすこと)が常である。
覚(感知する)仏の等(平等)で釈(意味を明らかにする)。
発(外に現れる)妄(嘘)の旨(考え)を検(取り締まり)、掩(隠した)真(まこと)をみる。
もちろん、そういうことがあっても、ときには、当人の採用になんの助けにもならず、採用手続きが延々と引きのばされることにしかならないこともあります。採用手続きは、こうなるとけっして終わりにならず、本人が死んでからやっと打切りになるだけです。
☆もちろん、幾多の傷痕は助けにならず免除の手続きは無限に引き延ばされていきます。要するに免除の手続きは終了することなく、死んでから打ち切られるというわけです。