『エナメルを塗られたアポリネール』
APOLIN社のエナメルの宣伝看板に文字を書き加え『エナメルを塗られたアポリネール』としたらしい。
文字から受ける印象・酷似において、その文字に波及した個人的な妄想が入ることはよくあることである。文字は必ずしも正しくその対象を伝えず、個人的な錯誤を招く傾向がないとは言えない。
ひらめきによって『エナメルを塗られたアポリネール』としたこの作品(レディ・メイド)に、アポリネールという人物は登場せず、不在を露わにしている。
《不在を露わにしている》という不思議は間違いであるが、不在を印象付ける策として成功(正解)と言わなければならない。
レディ・メイドの厳然を利用して鑑賞者の感性に揺さぶりをかけている。明らかに複数作られたであろう看板は鑑賞者を納得させるに十分である、その条件下に仕掛けた『エナメルを塗られたアポリネール』という《不在》を鑑賞者の現前に差し出して見せたのである。
《存在と不在》の妙を、活字という記号の差し替えによって(あるいは鏡に少女の後ろ姿を描き加えたことも含めて)視覚を惑わせている。
(写真は『DUCHAMP』TASCHENより)
「お父さんが来たよ。もう眼をおさまし。」雪わらすはうしろの丘にかけあがって一本の雪けむりをたてながら叫びました。子どもはちらつとうごいたやうでした。そして毛皮に人は一生けん命走つてきました。
☆普く雷(神なり)があらわれる説(話)を究(つきつめている)。
逸(隠して)翻(作り変えた)図りごとがある。
溢(あふれる)照(あまねく光が当たる=平等)の妙(不思議・言葉に言い現わせないほど優れている)が、総(すべて)である。
しかし、本人にすれば、それでも見込みがあると考えているのです。そうでなければ、どうして生きていくことができるでしょうか。けれども、彼は、何年もたってから、おそらくろうじんになったころに、採用されなかったことを、したがって、すべては失われ、自分の一生が徒労であったことを知らされるのです。
☆しかし、いかに生きればいいのか、多くの年月を経て、多分老人になったころに、すべては失われ、拒絶されていたことを知るのです。人生そのものが死であったと。