『冒険の衣服』
オサガメの遊泳、すなわち水中である。
この世界 空気の代りに水よみて 人もゆらゆら泡をはくべく(『歌稿』宮沢賢治)
深い海の底、地層が幾重にも重なっている。
裸体の女が目を瞑って横たわっており、両手を挙げている。無防備であり迎え入れているようでもある。頭巾は長くひざ下まで延びていて〈聖女〉を思わせる。
オサガメの頭部は〈男根〉を暗示しているだろうか。
女人とオサガメという種の相違は生殖を想起させないが、ずっとずっと昔の起源を自由に夢想するとき、こんな大胆な企ても許されるのではないか。
いかにも痛そうな堅い甲羅と女の柔肌は接点を持たず、精神の疎通のない通りすがりであるこの光景。
『冒険の衣服』、冒険というのは後世の人間の観点であり、着衣を被せたのである。深い地層の底には不条理と思える神話のような始まりが静かに眠っているのではないか。着衣からの解放こそ冒険の衣服かもしれない。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
(ぜんたい雲といふものは、風のぐあひで、行つたり来たりぽかつと無くなつてみたり、俄かにまたでてきたりするもんなんだ。そこで雲助とかいふのだ。)
☆薀(奥義)は普く考えに頼る謀(計画)を画(図り)運(めぐらせ)述べている。
そういうふうですから、あそこの暗い馬小屋のなかで従僕たちがかわるがわる際限もなくわめきたてる文句のなかには、わずかながらも真実をほのめかしているような言葉はせいぜいふたつか、三つほどしかふくまれていなかったかもしれません。
☆来世で解き明かされている暗黒の静かな死者たちの、せいぜい2.3のわずかな暗示のなかにしか真理は含まれていないのかもしれません。