続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

ちょっとねぇ…。

2017-07-19 07:20:26 | 日常

 サークル帰りのランチ、メンバーとの会話、楽しみにしているのに昨日はねぇ…。

 横文字のお店、店内は広く照明は落としてあるけど、ボックス形式で落ち着いた雰囲気。
「きょうはここにしようか?」と、誰言うこともなく階段を上がって行った。

「値段、安くない? 焼きそば・焼うどん・ラーメン・各コーヒー付きで590円って」
「コーヒーは別料金じゃないの」など侃々諤々で席についた。

 メンバー8人、それぞれ注文したけど、すべてがごゆっくり。店内の広さに比してウエイターが二人しかいないせいかもしれない。
 で、出てきたお皿の上の焼きそば、「何、これ?」具は有るや無し、少盛。思わず笑いが漏れ、最後に出てきたわたしのラーメンは注目の的。
 支那竹2本、青菜が少々、トウモロコシの粒がパラパラ…(定番のチャーシューなし)そして小さな器。

 フッフッフ・・・。
 それでも駅の傍という条件もあって客は切れない。みんな承知で長話に花を咲かせている。

(まぁ、田舎ってこんなもんかも・・・)


マグリット『博学な樹』

2017-07-19 06:27:56 | 美術ノート

 『博学な樹』

 ここはどこだろう、ピンクの地平は球体の一部をなしている。水平でない地平は偽地球、冥府かもしれない。異世界のビルボケ(擬人化を暗示する木工品)は、あたかも樹であるかのように、枝葉を伸ばしている。
 ビルボケ(木工品→樹の成長を停められたもの)は、樹の死後である。死んだ物から、生命の息吹を再生させている不条理をどう納得したらいいのか。《物理的に不可能なことも精神界では自由な解放がある》という観点からすれば、解釈の門は開いていく。

 方形の開口を持つ平板は現世の律を持たず、あたかも意思を持つかに立っている。つまりここではビルボケのみならず、他の物もエネルギーがあるかのように立っている。樹の質感を持つカーテン、カーテンをイメージさせる平板というべきか…。角度を成したところに平面の巨大(?)な眼が付着しているなど、現世での観念的情報では整理のつかない空間設定である。

 ビルボケだけが樹でないことに気づくとすべてが一体化して見え、再生のための学習の場であるかの錯覚を抱く。すでに何もかも知っている(博学)というより、これから転生のための学習の場のような感慨を覚えるのである。


(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)


『山男の四月』7。

2017-07-19 06:13:43 | 宮沢賢治

お日さまは赤と黄金でぶちぶちのやまなしのやう、かれくさのいゝにほひがそこらを流れ、すぐうしろの山脈では、雪がこんこんとs路い後光をだしてゐるのでした。


☆化(教え導く)釈(意味を明らかにする)
 往(人が死ぬと)魂(たましい)は、縷(細く連なり)太陽になる。
 脈(筋道)の説(話)を吐く。
 悟(真理に目覚める)構(しくみ)である。


城』2700。

2017-07-19 05:55:52 | カフカ覚書

この点では、あなたがおっしゃる意味での罪がわたしにあるかもしれmせん。だって、わたしは、従僕たちの話にたいして信用がおけないことを知っていたのですから。


☆あなたの感覚からいえば、先祖の罪過かもしれません。でも、わたしは下僕たち(死人たち)の話で、死の申し合わせなどないと知っていましたから。