『桟敷席』
広くて暗い部屋、こんな大きな桟敷席はないと思うが、床は波打ち微妙に傾いでいる。
手前の女は双頭であり、頭髪がないのは何故だろう。眼差しは双方ともこちら(正面)を見据えている。
背中を見せている少女は下の舞台を見ているし、向かい側の窓からもそれを見ている。ただ劇場に座る観客は舞台が見えるのだろうか、舞台は観客の視線より高い位置に設定されている。そして遠近法から言うと、本来この絵では見えないはずの舞台が持ち上がり桟敷席の延長戦に位置している。しかし演者はあたかも下にいるような角度と小ささである。
つまりこの空間は歪んでいる、あるいは自由な夢想空間であり、現実空間を否定した異空間(冥府)である。
手指や足先の華奢な女の双頭に必然はあるのだろうか。一つの身体に二つの視覚(感性・思考)、しかし対極を現わす要因はなくまったく同じ表情なのである。頭髪が無いのは女を捨てているという証かもしれない。女の見つめる先、つまりわたしたちのいる現世への募る未練が心(頭)を増殖させた結果ではないか。
あるいは双頭は男女(父母)とも考えられる。着衣のコートのボタンが右側にあるのは紳士用であり、頭髪がないのは男然と考えれば納得がいく。
不可思議な亡霊は、人間の条件を外した自由なものであるが、歩けず動けず不自由にも(冥府)という桟敷席から現世を眺めているのみである。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
山男は顔をまつ赤にし、大きな口をにやにやまげてよろこんで、そのぐつたり首を垂れた山鳥を、ぶらぶら振りまわしながあ森から出てきました。
☆太陽の談(はなし)は信仰を釈(意味を解き明かす)題(テーマ)の講(話)の趣(考え)で推しはかる。
散(バラバラにし)調(しらべて整え)審(正しいかどうかを明らかにし)真(まこと)を推しはかる。
こういうお役人は、悪評のある人物ほどいわば食欲をそそる魅力があるらしく、法規集にでもしがみついていなくては、その魅力にうち勝つことができないほどです。
☆彼らのものすごい刺激に対して抵抗するのには、非常にしっかりした法典に支えられねばなりません。