続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

お婆ちゃんちの匂い。

2017-07-18 07:31:27 | 日常

 何気なく漏らした孫の一言、「お婆ちゃんちの匂いがする」

 この言葉が後を引いてわたしから離れない。つまりは、お婆ちゃんちの長い年月の匂いであり、正体は陰に隠れて見えない《積年の埃》である。

 なんとか払拭したい!
 昨日は引き出しが縦に並んだ収納棚を徹底清掃、手前に引き出してみると、見えない背面は埃が黒くなるまでに変色。マジックリンで拭く、拭く、拭く。
 確かに匂う、引き出しの中や手前の埃はぬぐっても全体迄は行き届かない。壁面に置いた棚の後ろまでは・・・Ah。

 長らく開けたことのない天袋、おそらくは不要だから開けない棚の中の…記憶に外れた収納物は捨てたほうがいいかもしれない。再び同じところに収める可能性は十分にあるが・・・。


 年老いたなどと感傷に浸っている場合ではない、その長年の埃を何とか清めなければ! と、思いつつ暮れていく日々。
《お婆ちゃんちの匂い》との闘いは簡単には行かない。なぜなら鈍感さと鈍重な身体は予想外の副次的災難を惹き起こすからで、今朝は腰が重い。


マグリット『無題』

2017-07-18 07:07:15 | 美術ノート

 『無題』

 男と女・・・。
 男は薄っぺらで描かれた音符も低く単調なのに対し、女は豊満であり、音符も豊かな調べを奏で新しく樹の枝を再生させている。
 背景は白く上方は黄色めいている、つまりここは現世ではなく、死後の世界である冥府かもしれない。
 現世とは立場を違える二人、女は逞しく生命論理の変革をきたし、男は静かに佇むのみで、現世の有体を引きずった山高帽・コート・靴などの暗示がある。

 場所は特定できないが、平らであり囲い(フェンス)がある広いテラスといった趣きには、豊かで無風の平安・平和を感じることができる。

「お母さん!」
 亡母に会いに行く自分を夢想しているのではないか。
 名付けようがない、誰も入り込めない静謐…『無題』とするほかなかった密会のシーンである。


(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)


『城』2699。

2017-07-18 06:23:43 | カフカ覚書

わたしは、いつも縉紳館から帰ってくると、バルナバスと膝をつきあわせて、入手してきた新しいニュースを話してきかせるのでした。ふたりは、何日間もそのことをとことん論じ合いました。そのために、バルナバスの仕事が限度以上にとどこおってしまうことだってありました。


☆わたしは常にハロー(死の入口)に大勢の人たちが来るのを、バルナバスといっしょにいて最近のことを話すのです。幾日も現場不在の人々について話し合いました。そのためにバルナバスは、しばしば長く休まなくてはなりませんでした。