梅雨明け…(では)と、早速洗濯物と共に布団を干した。
暑く蒸すの二重苦の夏、それでも子供の頃は夏休みほど嬉しいものは無かった。解放感と孤独になれる幸福、このまま時が止まればいいと願ったほどである。
一日中何もしない。活発に動き回る子供でもなく、ただひたすら孤独感に浸る、それだけ。
前向きという姿勢は薬にしたくもない子供は、年を取っても同じ。ボォーッと世間を見ているだけ。
これでいいはずがない!
三つ子の魂百まで…変わらないよ、今さら。
でもつい最近、長くお世話になったロゴスドンの編集者さんの顔をfacebookで拝見。その人を知ることなしの20年、ひょっこり現れた画像にうっとり。これほどに平板な人生にもスパイスはあるんだと実感。(ちょっと楽しいかも)
頑張って夏を乗り切るゾ。
『彼は語らない』
白い仮面、口はつぐんでいるが紅を差した唇だけが生気を帯びている。
背後の壁面には正確に間隔をあけた点描があり、《彼)と《女あるいは男(現世の人間)》との境界にあるのか…、これは《時間/観念》の暗示だと思う。
《彼》と《人間》の境には円形の仕切り板があり隔絶されているが、繋がる空間をも認められる。その背後には板状の壁があるが、空の様な空白(空間)との前後関係は不明である。
この混在の空間を突きさすパイプがどこまで延びていくのかは不明であるが、《彼》の所有する空間で折れ曲がっている。この直角に折り下げたパイプが始まりなのか終わりなのかを知る術がない。
我はαにしてΩである。
最初であり最後である。初めであり、終わりである。(黙示録22章13節)
ということなのだろうか。たしかに《彼》は語らず、声として伝わるのみである。そして現世・来世をも支配するかに見える存在に違いない。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
(飴といふものはうまいものだ。天道は飴をうんとこさへてゐるが、なかなかおれにはくれない。)
☆偉(立派)に展(ひらかれた)等(平等)は畏(怖れ尊敬すべき)である。
従僕たちは、わたしにお城のことを話してやろうなどという気は全然なく、いつもほかのことばかり脱線してしまって、拝むようにしなければ、ひと言も訊きだせないのでした。
☆彼らがお城(本当の死)のことを愉快に話すことは決してありません。いつも話を他に逸らし、黙ってしまいます。