亡母の姉である叔母は99才で亡くなったが、妹である母が亡くなったのは長い闘病生活の末65才だった。母亡きあとに、わたしと妹にちゃんちゃんこ(綿入りベスト)、夫には半纏を作ってくれた。妹も夫も着古してとうの昔に処分してしまったけれど、わたしは着ることさえもったいなくて毎年秋になると出しては眺め、感傷に浸るのみで、どうしても着用には至らない。
今年こそ…と思ったら・・・。
『L.H.O.O.Q』
(モナリザの複製画に鉛筆)
モナリザの複製画に鉛筆で口髭と顎髭を描き足したものである。加筆により女から男へと変貌したように見える、「男女の差異などこの程度のものだ」とあたかも語っているような気がする。
それにしても『L.H.O.O.Q』の説明がない。
デュシャンを踏まえて考えると、LはLive(生きる/生命)、HはHeaven/Got(天国/神)、OはOne(個人)、OはOur(我々)、QはQuitus(死/人生の総決算)となる。
生まれて死んでいくという明快な論理の前に、《老若男女の差異など何であろうか》という空に帰するような答えを聞くのである。
(写真は『DUCHAMP』TASCHENより)
「このとほりです。どうしたらいゝでせう。」
一郎はわらってこたへました。
「そんなら、かう言ひわたしたらいゝでせう。このなかでいちばんばかで、めちやくちやで、まるでなつてゐないやうなのが、いちばんえらいとね。ぼくお説教できいたんです。」
☆逸(隠れた)糧(物事を養い育て支えるのに必要なもの)が現れる。
説(主張)は経(常に変わらない)。
まあ、蓼食う虫もなんとかと言いますからね。しかし、いずれにせよ、となりの庭を通ってまわり道なんかなさったのは、よけいなことでしたよ。わたしは、あの道を知っていますからね」
☆ただ好みはいろいろです。いずれにせよ、死の側を通って回り道をしたのは必要ではありません。わたしは道を知っていますから。