『振動尺試作Ⅲ』
振動尺試作Ⅱでは、ほぼ角柱という形をとったものが、Ⅲでは円柱になっており、ほかの細部も異なる体である。
この相違は何か。
時空の移動、転移だろうか。つまりは異なる景色であって、わたしたちの見る景色が常に同一固定されたものでないということである。
時空の変動(不可逆はない)は精神の形をも変化させ容易に答という決定は出せないまま連続を余儀なくされる。
わたしたちは仮に同じ景色を見ていても時間の継続により常に揺らぎの介入を認めざるを得ない。つまり変化を余儀なくされていくということである。
線・面・立体は、それを支える空間によって視覚化される。景色の変化は、そのまま空間の変化でもあり、流動・削除・膨張など見えない変移によって現象だけが視覚化されるわけである。だから、その見えない空間を視覚化するためには、学習されたデータのなかから形態や素材を選び出し、組み合わせたりして印象に等しく物量をもって照らし合わせていく。
もちろん迷いや錯誤、心的ストレスなどの混入は避けがたく、見えないものの複雑さを思い知るしかない。決定という核心はいわばブラックホールであり、有るが無い(見えない)。ゆえに近づくための試作は多義にわたり、その一角からの眺望に尽きるのかもしれない。
(写真は横須賀美術館『若林奮VALLEYS』より
「ちやうど一升あります。」
山ねこの陣羽織が風にばたばた鳴りました。
☆逸(優れた)照(あまねく光が当たる=平等)。
太陽は神であるという話を属(たくす)。
普く冥(死者の世界)である。
あれは、まだ勤務についていません。おそらくこんどのことをすべて忘れるためでしょうg、すぐにも仕事に没頭しようとしたのですが、わたしが亭主をくどきましたので、まだしばらく休養期間をもらえたのです。せめてその期間ぐらいはいっしょにすごいてやりたいのです。
☆死はまだ襲ってきません。おそらくこの事を忘れるためにすぐにでも現場不在を滅亡させようとしたのですが、先祖の氏族の休養には、ほかの先祖と共にに過ごさせたいのです。