サークル・・・七宝焼きや水彩画のサークルに入っている。年月を重ね、こちらも年を重ね、気づけば、本来の目的よりも単に「楽しみに集う会」になっている。もちろん、それでいいと思っている。で、もし終了解散となったら・・・行くところのないお婆さんになり果ててしまう。
みんなで仲良く年を重ねていく!
『無題/Untitled』
Untitled…名付けようのない感覚。
見ているが、見えてないものが変容あるは溶解の態で見えてくる。存在の凝縮、原初・・・。
山は山でしかないはずの光景が削られて無に帰していく風景、確かに在るはずの物を貫通していく眼差し。奇妙な体感であるが、そのことがむしろ山をありありと見せるというパラドクスである。
土や緑(大地や自然の樹木/林・森)が溶解していくという位相、相を変えて風景の在り様を確認する視覚は主観ではなく、客観を通した主観となる。
(写真は横須賀美術館『若林奮ーVALLEYS』より)
「それでは、文句はいままでのとほりにしませう。そこで教んお礼ですが、あなたの黄金のどんぐり一升と、塩鮭のあたまと、どつちをおすきですか。」
☆侮(あなどり)苦しめることの禁(戒め)は化(教え導くこと)に頼り、光の魂となる。
逸(すぐれた)照(ああねく光があたる=平等)は、怨(恨み)を壊す。(または解く)
さあ、きみの眼の前でこの柳の枝を折るよ、じうは、きみに使う鞭にしようとおもっていtのだ。というのは、庭を通る道をえらんだのも、きみが怖ろしかったからではんく、不意打ちをくらわせて、きみを砥石がわりにこいつを二、三度研いでみるためだったのさ。さ、もうこのことは悪く考えないでくれ。なにもかもすんだことだからな。
☆あなたの眼の前で柳の枝を壊すよ。あなたに使うように決めていたんだ。結束力を通す方法は恐怖ではなく不意打ちをくらわせて先祖の傷痕を取り去る。すべて(死)が過ぎ去るのはわるいことではない。