「所有・雰囲気・振動ー森のはずれ」のための模型 no.5
四方は遮蔽されている、が開かれてもいる。内部には石が置かれている。石は《原始》を象徴しているのかもしれない。(在るべくして在ったもの)
森のはずれ、森のはずれの内部(森)は不明な領域として心的印象に留まざるを得ないが、惹きこまれる要因のある空間である。何故なら〈外れ〉を認めていること自体に森への関心が展かれて見えるからである。
森のはずれという境界(へり)に突き当たる眼差しはヒューマン・スケールにおけるある程度の高さの隠ぺいを感じる。抜けるような天空は自分の立ち位置と森の内部にも等しい空間をつなげているはずで、その意味では森のはずれは見えない向こう側の森のはずれに貫通していると考えられる。
森という自然な樹木(有機)を、金属(無機)に変換させる試みは世界を反転させたような硬直したイメージがある。鋭意な感覚というよりほかない。
(写真は横須賀美術館『若林奮VALLEYS』より)
馬車が進むにしたがつて、どんぐりはだんだん光がうすくなつて、ももなく馬車がとまつたときは、あたりまへの茶いろのどんぐりに変わってゐました。
☆真(まこと)を写し、審(正しいかどうかを明らかにする)講(話)は、魔(鬼/死者)の赦(罪を許すこと)を査(調べる)編(文章)である。
だから、手続きがやっとはじまったばかりで、おれのほうのコネを通じて話をもちだすことは、まだ全然していない。が、いずれはそうするつもりだ。その結果がきみの不利なようになったら、きみはきみの主人に好意をもたれる準備をあまりしていなかったということになるな。そしてどうやら柳の枝を折ったのも、早まったことだったようだ。
☆要するに最初のやり方でわたしをつないだが、十分には為しえていない。わたしのためにしくじり、不利なのであれば、あなたたち大群に好意をもたれる気は全くなかったのだ。ひょっとしたら、それどころか柳の枝(借金の義務を負いこむ)を折ったのも余計なことだったのかもしれない。