『回転ガラス板(精密光学)』
(ペイントされた5枚のガラス板がメタルの軸を中心に回転し、1メートルほど離れて見ると一つの円になる)
要するに、無かった(見えなかった)光景の現出である。光による視覚の錯誤が引き起こす現象であり、計算による予知を超えるものではないか。
〈こうすればこうなる〉というプロセスを超越し、瞬時に描き出される光景は、ある意味奇跡だが、その意味付けの論理のほうが後手に回る。
自然(存在)は奇跡だが、天体におけるその証明は長い時間、未来に向けての課題ではないか。
この『回転ガラス版』における《円》の浮上・この幻は、エネルギ源の供給と正確な立ち位置の決定が条件である。
わが地球は、条件のほうが先回りして存在という現象(地球上の社会/世界)を見せているのかもしれない。
(写真は『DUCHAMP』TASCHENより)
山猫はなるほどといふふうにうなづいて、それからいかにも気取つて、繻子のきものの胸を開いて、黄いろの陣羽織をちよつと出してどんぐりどもに申しわたしました。
☆太陽の平(平等)を須(必要とする)衆(人々)の思いを教(神仏のおしえ)で解いている。
往(人が死ぬ)を尋ね、和(争いを治める)私記を推しはかり進(前へすすむ/言上する)。
やっぱりこういうことになってしまったのか。予測はついていたのだが、食いとめることができなあったのだ。フリーダがおれを袖にしてしまった。しかし、これで永久にだめだというわけではあるまい。
☆こういうことになってしまった。分かっていたのだけれど、阻止することができなかった。フリーダ(平和)から離れてしまったが、それは決定的ではない。