続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

痛みは何かの予告?

2017-12-24 08:02:58 | 漫画

 胃の辺りが痛んだ、痛くてしばらく寝付けない時間があり、夜中の2時ころから4時ごろまでただ《痛い》ことだけに悩まされていた。
 即、医者に・・・こともなげに「胃が炎症を起こしたのでしょう、薬を飲んでも痛みが続くようなら云々」
 確かに痛みは治まり、今に至るまで同じ兆候は皆無であり、薬は2錠飲んだだけで忘れるほどの回復…疲労・ストレス・食べすぎ…原因は未だわからない。


若林奮『「所有・雰囲気・振動ー森のはずれ」のための模型no.8』

2017-12-24 07:23:30 | 美術ノート

 「所有・雰囲気・振動ー森のはずれ」のための模型 no.8

 森は凹み(不明)ではなく高さを持ち、ランダムな樹林(原始)らしきものが認められる。
 土台(大地)は薄汚れ、等間隔に印が打たれている。時間・時代の経過だろか。写真右の囲みには墓標のようなものがあるが、正しく重ねられた年代の生々流転消滅していくものへの哀悼かもしれない。

 そもそも「森のはずれ」とは何を意味しているのだろう。森のはずれ(へり)を見るとき、必然的に《森》という領域が深層にあり、それは《森》との関係が見えたり消えたりすることで(所有/雰囲気/振動)の振幅を免れない。在るが無く、無いが有るという関係である。
「森のはずれ」は、森(不明)を隠すものであり、森(不明)を感じさせるものでもある。
《森のはずれ》という境界(視野の限界)は森を所有するという憶測(神秘)によって存在しうるという逆説でもある。


(写真は横須賀美術館『若林奮VALLEYS』より)


『どんぐりと山猫』81。

2017-12-24 06:59:51 | 宮沢賢治

 そして、山ねこの黄いろな陣羽織も、別当も、きのこの馬車も,一度に見えなくなつて、一郎はじぶんのうちの前に、どんぐりを入れたますを持つて立つてゐました。


☆太陽の光が腎(要)の和(争いを治める)私記である。
 蔑(見下す/差別)と闘う魔(死者)の赦(罪を許す)は、逸(隠れた)図りごととして現れる。
 逸(隠れた)糧(物事を養い育て支えるのに必要なもの)は全て新しい字の律による。


『城』2851。

2017-12-24 06:44:24 | カフカ覚書

きみは、なるほど、フリーダを連れだして、ひどく得意になっている。しかし、きみにたいするあらゆる敬意にもかかわらずーきみは、もうおれに敬意なんかもっていないだろうが、おれのほうは、きみにたいして依然として敬意をいだいているんだー


☆きみはなるほどフリーダ(平和)を連れ出したことをまるで完全に得意になっている。しかし、死にゆく人に敬意をもっているにもかかわらず、きみはわたしに対して少しも敬意を持っていない。