続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

松村正直(私的解釈)悪くない。

2022-04-05 07:38:47 | 松村正直

 悪くない置き忘れたらそれきりのビニール傘とぼくの関係

 悪くない、悪いを否定、よくもない。極めて曖昧で不明な時空感が漂っている。見えないが、意識がそれを浮上させている。

 置き忘れたらそれきりのビニール傘・・・放置された傘は僕とは無関係である。ビニール傘とぼくには所有の接点がない。しかし、心が動くことで、あたかも善悪の秤が微妙に動く。
 ぼくには罪がなく、見ないで通り過ぎることは可能である。しかし、あの傘を見た小さな痛みはすでに生じてしまっている。

 放置された傘の哀しみ? そんなものがあるだろうか。僕はそれを見たに過ぎない。ビニール傘と僕の距離はやがて遠ざかって行き、置き去りにされた傘の行方は知る由もない。

 幾千と関わってきた風景のなかの接点は、近づきつつ遠のき永遠に忘れ去られてしまう。
《悪くない》、あらゆる事柄は行きずりのまま自分を肯定しつつ遠のいていくのかもしれない。切れ切れの現象である雲のように。


『飯島晴子』(私的解釈)日はたかく。

2022-04-05 06:53:00 | 飯島晴子

   日はたかく蛇も泪を見するなり

 日はたかく蛇も(日高蛇)はジツ・コウ・ジャと読んで、実、講、邪。
 泪を見するなり(泪見也)はルイ・ゲン・ヤと読んで、累、現、也。
☆実(中身)の講(話)は邪(正しいだろうか)。
 累(次々重なるもの)が現れる也。

 日はたかく蛇も(日高蛇)はニチ・コウ・ジャと読んで、日、光、邪。
 泪を見するなり(泪見也)はルイ・ゲン・ヤと読んで、類、幻、也。
☆日(太陽)の光り邪(だろうか)、類(よく似ている)幻也。

 日はたかく蛇も(日高蛇)はジツ・コウ・ジャと読んで、昵、交、邪。
 泪を見するなり(泪見也)はルイ・ゲン・ヤと読んで、類、厳、爺。
☆昵(慣れ親しむ)交(付き合い)邪(か)。
 累(かかわり)の厳しい爺である。

 日はたかく(日高)はジツ・コウと読んで、昵、孔。
 泪はルイと読んで、累。
☆昵(近づくと)孔(穴)には大量発生した蛇が累(次々重なりあっている)。