続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)緋桃なり。

2022-04-13 07:12:51 | 飯島晴子

   緋桃なり神々はまた歩き出す

※緋桃なり(緋桃也)はヒ・トウ・ヤと読んで、飛、頭、家。
 飛(移る)頭家(神社の祭礼、講などの行事の世話をする家)、神々はまた歩き出す。

 緋桃なり(緋桃也)はヒ・トウ・ヤと読んで、秘、湯、也。
 神々はまた歩き出す(神神又歩出)はシン・シン・ユウ・ブ・スイと読んで、心、身、優、撫、遂。
☆秘湯也。
 心身を優しく撫(労わること)を遂げる。

 緋桃なり(緋桃也)はヒ・トウ・ヤと読んで、否、闘、也。
 神々はまた歩き出す(神神又歩出)はジン・ジン・ユウ・フ・スイと読んで、尽、陣、憂、怖、衰。
☆否(同意しない)闘い也。
 尽(すべて無くなる)陣(戦争)を憂(苦しみ心配する)怖(恐怖)の衰えがある。

 緋桃なり(緋桃也)はヒ・トウ・ヤと読んで、秘、套、耶。
 神々はまた歩き出す(神神又歩出)はジン・ジン・ユウ・ブ・スイと読んで、訊、腎、有、部、推。
☆秘(人に見せないように隠し)套(おおう)耶(か)。
 訊(問いただす)腎(かなめ)が有り、部(区分けして)推しはかる。

 緋桃なり(緋桃也)はヒ・トウ・ヤと読んで、日、套、夜。
 神々はまた歩き出す(神神又歩出)はシン・シン・ユウ・フ・スイと読んで真、深、雄、夫、睡。
☆日(太陽)を套(おおう)夜、真(まこと)に深(夜が更ける)と、雄(いさましい)夫の睡(眠り)がある、


吉川宏志(私的解釈)きのうまで。

2022-04-13 06:29:10 | 吉川宏志

 きのうまで母撫でていたてのひらを祈るかたちに閉ざせる夕べ

 きのうまで母撫でていた(昨日母撫居)はサク・ジツ・ボ・ブ・キョと読んで、策、実、募、捕、拠。
 てのひらを祈るかたち(掌祈形)はショウ・キ・ケイと読んで、照、記、継。
 閉ざせる夕べはヘイ・ユウと読んで、併、融。
☆策(さがす)実(内容)を募(広く求め)捕える。
 拠(より所)を照(てらし合わせて)記す。
 継(つなぎ)併(合わせると)融(通じる)。

 きのうまで母撫でていた(昨日母撫居)はサク・ジツ・ボ・ブ・キョと読んで、錯、実、簿、部、挙。
 てのひらを祈るかたち(掌祈形)はショウ・キ・ケイと読んで、章、机、計。
 閉ざせる夕べはヘイ・ユウと読んで、蔽、由。
☆錯(まじる)実(内容)を簿(ノート)に部(区分けして)挙(企てる)章である。
 机(机上)で計(もくろみ)蔽(見えないようにする)由である。

 きのうまで母撫でていた(昨日母撫居)はサク・ジツ・ボ・ブ・キョと読んで、朔日、暮、無、虚。
 てのひらを祈るかたち(掌祈形)はショウ・キ・ケイと読んで、衝、起、景。
 閉ざせる夕べはヘイ・セキと読んで、閉、寂。
☆朔日の暮(夕方)は無(何もなく)虚しい。
 衝(外惑星が地球から見て太陽と正反対の方向にほぼ一直線に並んだ状態)が起きると、景(けしき)を閉ざすので寂しい。