続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)溷濁の。

2022-04-06 06:36:54 | 飯島晴子

   溷濁の百合を咥えてゐるオルガン

 百合はヒョク・ゴウと読んで、百・轟。
 咥えてゐる(咥居)はテツ・キョと読んで、撤、去。

※溷濁(汚れ乱れた)百(多くの)轟(鳴り響く大きな音)に、撤去されたオルガンである。

 溷濁はコン・ダクと読んで、魂、抱く。
 百合はヒャク・ゴウと読んで、百、合。
 咥えてゐる(咥居)はテツ・キョと読んで、撤、去。
☆魂(精神)が抱く業(どうにもならない心の動き)を撤(取り除き)去(無くす)。

 溷濁はコン・ダクと読んで、恨、駄句。
 百合はヒャク・ゴウと読んで、百、合。
 咥えてゐる(咥居)はテツ・キョと読んで、跌、挙。
☆恨(残念に思う)駄句が百(たくさん)ある。
 合(一緒にすると)跌(躓く)、挙(すべて)が。

 溷濁はコン・ダクと読んで、梱、諾。
 百合はヒャク・ゴウと読んで、非役、拷。
 咥えてゐる(咥居)はテツ・キョと読んで、迭、挙。
☆梱(荷造り)を諾(承知する)。
 非役(役を辞めさせられること)を拷(うちすえ)、迭(他の者と変える)挙(振る舞い)がある。


吉川宏志(私的解釈)食べることの。

2022-04-06 05:52:07 | 吉川宏志

 食べることのできない人に贈るため花はあるのか初めておもう

 食べることのできない人・・・よほどの貧困か、病床悪化である。
 贈るため花はあるのか・・・花は無意味か、否。
 初めておもう・・・花を贈る行為はすべからく《愛の表現》であると信じていたけれど、今、わたくしと相手の間にこの花は役に立つのだろうか。花を愛でることへの共感、確かに有るのだと有意義だと、煩悶しつつ心が揺れている。

 食べることのできない人(食事出来人)はショク・ジ・スイ・ライ・ニンと読んで、初句、字、頼、認。
 贈るため花はあるのか(贈為花有)はゾウ・イ・カ・ユウと読んで、蔵、意、化、誘。
 初めておもう(初思)はショ・シと読んで、諸、視。
☆初句の字を推しはかる。
 頼りは認(見分けること)を増やし、意(考え)を化(形、性質を変えて別のものなる)を誘(引き起こし)庶(もろもろ)を視(気をつけて見ること)である。

 食べることのできない人(食事出来人)はショク・ジ・スイ・ライ・ジと読んで、続、恃、遂、磊、尽。
 贈るため花はあるのか(贈為花有)はゾウ・イ・カ・ユウと読んで、蔵、委、果、遊。
 初めておもう(初思)はショ・シと読んで、諸、思。
☆続きを恃(頼むこと)を遂(やりとげる)。
 磊(小さなことにはこだわらないで)尽(ことごとく)蔵(収め)、委(成り行きに任せる)。
 果(思い切って)遊(自由に)諸(もろもろ)思(考える)。

 食べることのできない人(食事出来人)はショク・ジ・スイ・ライ・ニンと読んで、職、事、遂、礼、任。
 贈るため花はあるのか(贈為花有)はソウ・イ・カ・ユウと読んで、曹、偉、科、右。
 初めておもう(初思)はショ・シと読んで、署、仕。
☆職(担当している)事を遂(やりとげる)。
 礼(敬意を払い)任(勤める)曹(役人)は偉い。
 科(区分)は右の署(割り当て)に仕(つかえる)。