続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

M『ガラスの鍵』

2022-04-26 06:41:56 | 美術ノート

   『ガラスの鍵』

 草木も生えないあ標高の尾根に巨岩石が乗っている。どこから落下してきたのだろう。地上に重力の通用しない領域はない。
 浮上、あるいは岩石が尾根の稜線に育つなどと言うことはあり得ない。非現実、空想の域である。

 物理的に叶わないことも精神界では許容される、自由であり解放区と呼んでもいいかもしれない。その接線を解く鍵は見えないし、瞬時、打ち消されるに違いない。
 神がかり的な設定はあくまで個人的なものであり、共有はない。しかし、それを作品として提示することで共感は得られる。
 分かり得たもの同士の約束、結びつきは世界に対する慟哭にも似た叫び、高揚感である。この峡谷から見上げた恐怖は、死や終末をも呼び起こし正常さを失う激震に襲われる。
 しかし、作品は二次元の創作に過ぎず手の中にある。鑑賞は非現実に対し鷹揚に受け入れられる。
 神がかり的な世界は絵空事であり、それを身に引き受けるか否かは自由である。神への信奉、この隔たりにある時空を解く鍵の有無は見えない。

 写真は『マグリット』展・図録より


『飯島晴子』(私的解釈)かくまはれ。

2022-04-26 05:34:34 | 飯島晴子

   かくまはれ鮎をくはされゐたりけり

 かくまはれ鮎をくはされゐたりけり(匿鮎食居)はトク・ネン・ジキ・キョと読んで、篤、然、自棄、嘘。
☆篤(重い病気)の然(状態)に自棄になり嘘(嘆いている)。

 かくまはれ鮎をくはされゐたりけり(匿鮎食居)はトク・ネン・ショク・キョと読んで、解く、粘、続、寄与。
☆解く(答えを出す)には粘って続けることが寄与(役に立つ)。

 かくまはれ鮎をくはされゐたりけり(匿鮎食居)はトク・ネン・ジキ・キョと読んで、匿、念、自記、挙。
☆匿す念(考え)の自記を挙(企てる)。


吉川宏志(私的解釈)病室の。

2022-04-26 04:44:33 | 吉川宏志

 病室の高さに行きて双石山をともに見ており

 病室の高さに行きて双石山をともに見ており(病室高行双石山共見居)はビョウ・シツ・コウ・コウ・ソウ・シャク・サン・キョウ・ゲン・キョと読んで、秒、執、恒、更、草、釈、三、胸、現、拠。
☆秒(きわめて小さな)執(こだわり)がある。
 恒に、更(新しくなる)草(下書き)の釈(意味を解き明かす)。
 三つの胸(心の中)が現れる拠(より所)がある。

 病室の高さに行きて双石山をともに見ており(病室高行双石山共見居)はビョウ・シツ・コウ・コウ・ソウ・シャク・サン・キョウ・ゲン・キョと読んで、病、悉、惶、構、相、癪、酸、怯、厳、嘘。
☆病には悉(ことごとく)惶(畏れておどおど)と構える相(有様)がある。
 癪(腹が立ち)酸(辛く)怯(おびえ)、厳(激しく)嘘(嘆く)。

 病室の高さに行きて双石山をともに見ており(病室高行双石山共見居)はビョウ・シツ・コウ・コウ・ソウ・シャク・サン・キョウ・ゲン・キョと読んで、平、質、考、講、総、尺、宣、協、現、挙。
☆平(偏らない)質(内容)の考えである。
 講(はなし)の総ては尺(短い)と宣べる。
 協(力を合わせると)現れる挙(企て)がある。


大森静佳(私的解釈)冗長な。②

2022-04-26 04:07:40 | 大森静佳

 冗長な映画のような光来て春はあなたが庭そのもので

 冗長な映画のような光来て春はあなたが庭そのもので(冗長映画様光来春貴方庭其物)はジョウ・チョウ・エイ・カク・ヨウ・コウ・ライ・シュン・キ・ホウ・テイ・キ・ブツと読んで、常、調、覚、様、稿、頼、詢、奇、逢、綴、其、物。
☆常に調べ、営(仕事をする、こしらえる)。
 覚(感知する)様の稿、頼りにするのは詢(問うこと)である。
 奇(思いがけなく)逢(出会う)綴(つづり)、其の物である。

 冗長な映画のような光来て春はあなたが庭そのもので(冗長映画様光来春貴方庭其物)はジョウ・チョウ・エイ・カク・ヨウ・コウ・ライ・シュン・キ・ホウ・テイ・キ・ブツと読んで、畳、帳、営、書く、要、考、磊、竣、記、報、定、企、打つ。
☆畳(かさなる)帳(ノート)。
 営(こしらえて)書く要の考えは磊(小さなことには拘らないで)竣(終える)記であると報らせる。
 定(きまり)は企(くわだて)を打つ(述べること)である。

 冗長な映画のような光来て春はあなたが庭そのもので(冗長映画様光来春貴方庭其物)はジョウ・チョウ・エイ・カク・ヨウ・コウ・ライ・シュン・キ・ホウ・テイ・キ・ブツと読んで、穣、兆、頴、穫、様、幸、雷、瞬、祈、豊、態、喜、沸。
☆穣(よく実る)兆(きざし)の頴(穀物の穂先)、穫(取り入れ)の様は幸いである。
 雷が瞬(またたく)と祈る。
 豊かな態(ありさま)には喜びが沸く。