続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『城』1887。

2015-02-22 06:06:03 | カフカ覚書
それにもかかわらず、彼は、Kのところへ来て助力を求め、Kが同意をしてやると、よろこんだのである。彼はほかの人だっておなじようなおとを感じるにちがいないと信じた。しかも、なによりも重要なのは、母の口からKの名前が出たということである。


☆それにもかかわらず、彼は、Kのところにきて救済を乞うたのである。Kが同意を喜び、死んだ人々も同じようなことを感じたにちがいないと信じた。しかも、母自身からKのことが述べられたのである。

わたしのブログ。

2015-02-21 06:26:48 | 日常
 筆不精のわたしがパソコンのおかげで、指を動かすだけで言いたいことを書いている。人前では思ったことも言えず、自分というものを表明するなんてことは有り得ないのに、ブログのお蔭で何かブツブツ言っている。

 軟弱で他人思考に流されてばかりのわたしが、ここではこっそり自分の意思をつぶやける。そして誰かしらが目にしてくれている。その誰かしらに向かって細々と何かを言っている。見た人がスルーしたって構わない、誰かに向かっているという姿勢がわたしを励ましている。

 何気なく書いている、特別な意図はない。抗議や自説を広めようなどという意気込みもない。黙々と淡々と日常を綴っているだけである。


 けれど、ふと気づく。
 これらは、誰かに向かって書いているのではないことに。
 向かっているのは自分自身である。そして、このブログは書いている本人であるわたしを励ましてくれている。わたしが書いたものが、わたしに向かって立ち上がり、わたしを励ましてくれている。思いがけず気づいたこの事実に呆然と、しかししっかり肯いている。
 そうだ、このブログは、このわたし自身を励ましてくれている唯一の存在なのだ。わたしの影だと思っていたものは、わたしに先回りして道を開き、手を振っている。

 道連れ、相棒、かけがえのない友人・・・馴れ合いに甘んじることなく襟を正してお付き合いしていきたい。

『冬のスケッチ』32。

2015-02-21 06:12:24 | 宮沢賢治
   げに和賀川よ赤さびの
   けはしき谷の底にして
   春のまひるの雪しろの
   浅黄の波をながしたり


☆話の化(形、性質を変えて別のものになる)は、千(たくさん)あり、釈(意味を解き明かすこと)を告げる。
 綴(つづり)を悛(改め)設(こしらえ)散(ばらばらになったもの)を、構(組み立て)把(つかむこと)である。

『城』1886。

2015-02-21 06:01:10 | カフカ覚書
ハンスも、そのことは十分に承知していて、そのことを納得するために、いまさらKを他の人たちとくらべてみるまでもなかった。彼自身は、いまのKが母に会ったり、母と話をしたりするのをなんとか防ぎとめたいとおもっているくらいだった。


☆ハンス(国/団体)もまた、それをみるために、死んだ人々を観察する術のないことをはっきりとそれを認めていた。彼自身は、最も愛する母(母なるもの)に、今のKが会ったり、話したりすることから守りたいと思っていた

耐えている。

2015-02-20 06:43:23 | 日常
 氷雨降る日が続き、カフカさん(ツチイナゴ)はどうしているだろうと危惧していた。酷寒であれば、もちろん姿は見せない。ところが昨日は少しばかり気温が高く陽射しもあった。

(もしかして)と外に出て見ると、(いました!)午後三時半。

 やりっぱなしの外を、掃いたり拭いたりの簡単掃除をして、ふと見ると、もう姿はない。午後四時。

(でも、生きていたのね。よかった!)
 このツチイナゴの成虫に気づいたのは十一月上旬、今は二月の中旬だから、ゆうに三ヶ月はこの狭い小さな植木鉢に潜んで冬越しをしていることになる。(植木鉢は直径三十センチくらいの釉薬がかかった瀬戸物)

 たった一匹での冬越し、淋しくないのかな? (応援しているよ!)
 ちなみに写真の植木鉢は定宿にしている植木鉢のお隣。少しは移動するらしく、土が乾いていたのを見て水をたっぷり撒いたので移動したもかもしれない。

『冬のスケッチ』31。

2015-02-20 06:36:08 | 宮沢賢治
一一
    恐らくは白日輪なりなんを
    ひとびとあふぎはたらけり。
         *
    赤さびの廃坑より
    水しみじみと沸きて鳴れり


☆教(神仏のおしえ)を吐く(言う)。
 果(結末)の輪(順番に回る)釈(意味を解き明かす)を配(わりあてる)講(はなし)を推しはかる。
 幽(死者の世界)の命(めぐりあわせ)である。

『城』1885。

2015-02-20 06:24:23 | カフカ覚書
さらに質問をつづけていくと、彼がどういうまわり道をしてこういう願望をいだくにいたったかが、やっとのみこめた。Kの現在に境遇はけっして羨むべきものではなく、むしろ悲惨で、あわれなものである。


☆さらに十分に問い求めていくと、彼が回り道をしてこう言う欲求を抱くにいたったのかに気づいた。Kの現在の境遇はけっして羨むべきものではなく悲痛で蔑まれた状態である。

68才。

2015-02-19 06:42:11 | 日常
 2月6日をもって、68才になったわたし。

 もうこんな年かと悲観ばかりはしていられない。まだ本当の真髄に触れていないから。《ああ、そうだったのか》と、得心のいく日が来ることを、心の奥で期待している。そこを目指していると言ってもいい。
 核心の周りをうろつきながら遂に核心には至らず死期を迎えざるを得ないのかもしれないけれど。

「何をお探しですか?」
 仮に訊ねられても「何」と、答えることができない。そういう宿題を抱えている。近道はなく、遠回りしてもさらに道を見失うばかりのわたしの弛んだ日常。

 諦念をもって暮らせば、愉快かもしれない。捨てること、望みの空虚を消去しさえすれば、楽しい日々の連鎖が待ち受けているのではないかと夢想する。

 呼称も(おばさん)から(お婆さん)に変っていく瀬戸際。見知らぬ人に「お婆さん」と声をかけられたら「ハイ、わたしのことですね」と明るく返事をする心構えはずいぶん昔から予習しているけれど、胸のざわつきは押さえられない。そういうお年頃の教本が見つからない。
 どこから見ても似たような年配者が「あなたの方が若い」などと言い合っているのを見かけ、内心クスリとしたものだったけど、実際そういう年齢になってみると、この会話はあちらこちらで交わされる挨拶である。幾つになっても少しの差異が気になる。
「あなた達の方が足が丈夫でずっとお若い」友人たちに抱く膝痛病みのわたしの感想には、わたしも頑張って付いて行くわという決意が含まれている。
 認めざるを得ない欠落、補いが困難な状況、でも、明日こその希望に賭けている。

《もう68才、されどまだ68才》
 68才が楽しく豊かな一年になるよう、面白がっていくつもり。
(68才が、そんなに楽しいか?)と訝しげに首を傾げられたら「そうなんです」と答えてみたい。

『冬のスケッチ』30。

2015-02-19 06:37:01 | 宮沢賢治
   いただきの梢どもは
   つめたき天にさらされて
   けさなほ雪をかむりたり。
        *
   雪融の山のゆきぞらに
   一点白くひかるもの


☆章(文章)を展(ひろげる)説(はなし)を設(こしらえる)。
 幽(あの世)では、太陽(平等)が溢れていることを伝え、吐く(言う)。

『城』1884。

2015-02-19 06:28:05 | カフカ覚書
彼女は、ハンスにいろんなことを質問したが、とりわけ、彼が将来何になるつもりなのか、とたずねてみた。すると、ハンスは、ほとんどなにも考えもしないで、Kさんのような人になりたいとおもいます、と答えた。さらにその理由を問いつめられると、さすがに答えることはできなかったが、たとえば学校の小使いにでもなりたいのかと訊かれると、きっぱりそれを否定した。


☆彼に、どうしたいのかと質問すると、ハンス(国/団体)は考えることなしに先祖の人間としてKのようでありたい、と答えた。さらにその根拠を聞くと、あきらかに罪過に服するようなつもりはなく荒地など虚報(デマ)の言葉をきっぱり否定した。