そして二人はその扉をあけようとしますと、上に黄いろな字でかう書いてありました。
☆字の図りごとの秘(人に見せないように隠す)は、照(あまねく光が当たる=平等)の講(はなし)を署(割り当てている)。
それに、そんあふうにして考えだしたどんな名案も、実際にはなんの役にもたちませんでした。どの思いつきも、アマーリアなしでは実行できなかったからです。わたしたちが考えたことは、すべてした相談にすぎず、しかも、その結果がまったくアマーリアの耳にとどかないし、たとえ耳にはいったとしても、沈黙にしか出会わなかったでしょうから、所詮、無意味なした相談だったわけです。
☆際立つような着想もアマーリアなしでは実行に至らず、全て事前の協議に終わり、その結果がアマーリアまで届かないし、たとえとどいたとしても、沈黙に出会うしかなかったのです。
『オルメイヤーの阿房官』
根の張った樹が破損した城郭に変容している物体を、単色・ベタの背景に収めている。
きわめて不可解である。
時空に指定はないが、不明なほど遠い未来からの不審物としての象徴である。
端的な物言いではないのに、曖昧模糊とした混沌を孕ませ単純化している。
土中にあってこその根が、空中に標本のように提示されている無意味、築かれた城郭はひび割れの破損と共に空洞化している。樹(有機質)が城郭(無機質)と合体、あるいは変容している不条理は、栄枯盛衰の末路の暗示だろうか。
どこまでも伸びる根の活力(エネルギー)は、実を結ばず廃墟と化している。時間の経由、歴史の残酷、虚空の沈黙、《空しい幻想》があるばかり・・・。
取り残された孤独だろうか、背景のオレンジは洛陽の輝き、一抹の寂しさをも暗示する。
『オルメイヤーの阿房官』は空中に浮遊する《不条理/結末の不一致》の象徴である。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
「どうも変な家だ。どうしてこんなにたくさんの戸があるのだらう。」
「これはロシア式だ。寒いとこや山の中はみんなかうさ。」
☆遍(もれなくいきわたる)化(形、性質を変えて別のものになる)の図りごとを、識(見分ける能力)の感(物事に対したときに受ける思い)で算(見当をつけ)注(文章の意味を書き記す)。
また、なんとかよい解決法を考えだそうとたがいに鎬を削り合ったのも、自然なことであり、やむをえないことでもあったのです。だけど、それは、よいことではありませんでした。だって、そのために、わたしたちがのがれたいとおもっていたものおなかへ、ますます深くのめりこんでいく結果になったからです。
☆わたしたちは絶えず、良くも悪くもないということで満足し、事件を解消することを考えていました。わたしたちは当然のこととして不可避を良しとしたのではなく、わたしたちは免れることを望んだのですが、それによって引き続き深みにはまってしまったのです。
〔宮崎二美枝先生の授業〕
昨日は28日の第5回「演じる・観る in まなびかんまつり」についてのレクチャー。
実演の方のそれぞれの細かいご指導、間の取り方・次の場面への引き加減、各種の声の出し方・・・聞き手(聴衆)との呼応のタイミング。(難しすぎる!!)
「どんなことでもそうですが、机上の学習より実践です!」と、先生。
わたしたちのグループは「みらい(仮)」をアンメちゃんの一言で「みらいらんらん」に決定。《らんらん》を付け足すセンス、わたしにはないけど、若いアンメちゃんにはそういう言葉の遊びがあるんだと感心してしまった。
明日、わたしは進行係。
「本日は皆さまかくも盛大にお集まりいただいて・・・」(これはおかしいナ)
「こんにちは。わたしたちのグループは「みらいらんらん」です。メンバーはこちらから実演のAさん、呼び込み係のBさん、人数カウントのCさん、そして進行係のわたくしピーちゃんです。ではこれからAさんが『まんまるまんまのたんたかたん』を演じます。どうぞご観覧ください。」って…淀みなく言えるかな?(心配)
(まあ、なるようになるよね)
宮崎先生、大柴ルーさん、奥泉ヴァルさん、ありがとうございました。
ラジオ体操仲間が、入浴料が50パーセントオフになる券をくれた。
「でも1500円は高いわ、(内風呂ならタダだし)遠くまで出かけて湯冷めするし…」なんて考えていたら、
「リフォーム代を支払うのに200万円振り込もうとしたら銀行の人があれやこれやでうるさく問い詰めて、あげくに送金相手に電話して確認したのよ。たった200万送るのに!」と憤慨していた。
《たった200万!》ズキッ。
確かに振り込め詐欺事件などの被害が後を絶たないから、銀行の人の執拗な危惧も分からなくはない。
でも、たった200万は、胸に突き刺さったよ。
でも、分かるよ。相続に億という単位の税金を払った家の人、確かに《たった200万》かも。(いいな、羨ましいな)
ちなみにこの方、ごくナチュラルないい人、からかってもいけないし、肯くのも若干見栄が入るような気がするし…会話は微妙に難しい。
『会話術』
石を重ねて意味を表した文字列が、聳えるような高さで立っている。人の視線はごく下方にあり、この意味を有した岩石は威圧的でさえある。もちろん、この石積みは人為的なものであり自然の風化などではない。
会話術とは相手があって成り立つ方法であり、その術がこの画面にあるという。会話に不可欠な条件…意思の疎通は身体で表明することから始まり、言語という手段に至っている。曖昧さが削除されたはずの会話術は怖ろしいまでに強大な脅威と化しているのかもしれない。
会話術に必須な言語は、人類の英知によって完成されたものであるが、その範囲は独特の地域性を持ちワールドワイドというわけにはいかない。
『会話術』の画面には『REVE/夢』と読める石積みが為されている。夢とは夢想、現実ではない経験、あるいはそうありたいという願いの精神現象である。
『会話術』の夢が古代の夢なのか、あるいはずっと時を経た未来における回想なのかを知る術はない。会話術、世界の混沌…そうしたもの全てが、いつか墓標のように地上に立つ日があるかもしれないという幻想かもしれない。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
「君、ぼくらは大歓迎にあたつてゐるのだ。」
「ぼくらは両方兼ねてるから」
ずんずん廊下を進んで行きますと、こんどは水いろのペンキ塗りの扉がありました。
☆訓(教え導く)題(テーマ)に換(入れ替わる)芸(わざ)は、霊(死者の魂)を法(神仏の教え)で験(ためしている)。
弄(思いのままにする)化(形、性質を変えて別のものになる)で、真の講(はなし)を推しはかる図りごとは、秘(人に見せないようにする=秘密)である。
そういうわけで。わたしたちがたえず手紙の一件を問題にして、よくわかっているこまかな点も、まだよくわからないさまざまな可能性も、いろんな角度から検討したのは、きわめて自然なことでした。
☆そういうわけで絶えず書き物を積み重ねては相談しましたが、全ての確かな個々の事情やすべての不穏な可能性が縦横にまた逆にねじれていたのも当然でした。