「君、ぼくらは大歓迎にあたつてゐるのだ。」
「ぼくらは両方兼ねてるから」
ずんずん廊下を進んで行きますと、こんどは水いろのペンキ塗りの扉がありました。
☆訓(教え導く)他意は換(入れ替えて)合わせ、霊(死者の魂)の法(神仏の教え)を見る。
労(力を尽くし)解(悟り)を、新しい講(話)で推しはかる。
図りごとは秘(人に見せないように隠している)。
測量師とはね!あなたという人は、いったい、なにを考えていらっしゃるのかしら。どんな特別な計画をめぐらしていらっしゃるの。よい地位とか、功労賞でも手に入れようというおつもりなの。そういうものがお望みなの。それならね、初めからもっとべつなやりかたをなさらなくてはならないところだったわ。
☆測量師(土地がないことに気づいた人)とはね!あなたは何を考えているの?特別な事柄でいっぱいなの?特別なことを成し遂げようとしているの?立派な職業とか、名誉とか、この種のことを望んでいるのですか?
死の始まりは、他の方法を取るべきだったのです。
八頭いづこより刃を入るるとも
八頭を前にどこから包丁を入れたらと、瞬時迷う。無駄なくきれいに処理したいけれど、どこから刃を入れても満足したことがない。
八頭はハチ・トウと読んで、蜂、糖。
いづこより(何処)はカ・ショと読んで、菓、諸。
刃をいるるとも(刃入)はジン・ジュと読んで、腎、需。
☆蜂の糖(蜜)は菓(お菓子)の諸(もろもろ)の腎(要)として需(必要)である。
八頭はハチ・トウと読んで、蜂、踏。
いづこより(何処)はカ・ショと読んで、過、諸。
刃をいるるとも(刃入)はジン・ジュと読んで、人、呪。
☆蜂を踏んだ過ち、諸(もろもろ)の人は呪う。
八頭はハチ・トウと読んで、鉢、盗。
いづくより(何処)はカ・ショと読んで、過、諸。
刃をいるるとも(刃入)はジン・ジュと読んで、訊、受。
☆鉢を盗んだ過ち、諸(多くは)訊(訊問)を受ける。
今頃は桜吹雪の夫の墓
長年連れ添った夫は、すでにお墓の下。でも今頃はその淋しさを払拭するように桜吹雪が舞っているはずである。
今頃はコン・ケイと読んで、混、継。
桜吹雪はオウ・スイ・セツと読んで、奥、推、説。
夫の墓はフ・ボと読んで、譜、簿。
☆混ぜて継(つなげる)奥(奥義)がある。
推しはかる説(話)を譜(つづける)簿(ノート)がある。
今頃はキン・ケイと読んで、襟、景。
桜吹雪はオウ・スイ・セツと読んで、追う、衰、説。
夫の墓はフ・ボと読んで、腐、母。
☆襟(心の中)の景を追うと、衰えた節(おり)の腐(心を痛め苦心した)母がいる。
パネル二つが中空に浮いている。これは見上げた視線ではない。とすると、恋人たちは中空を浮上しているのだろうか。しかも恋人たちであり複数である。
未来をつくる若者たちの視線はヒューマンスケールで測る高さではなく、超えている。何を超えているかというと、集合住宅や家々に対峙する位置であり、世間や社会を超えようとする意志(パワー)である。社会常識、通念に真っ向から挑む姿勢である。
二つのパネルは恋人という対の形であり、男女どちらというものではないが、描かれた内容は同質である。
空と雲は、変化を予感させる。そして自然回帰への自由な開放を示唆しているのではないか。散歩であれば、明確な目的があるわけではないが、新しい明日への希望が漠然と二人の気持ちに過っ照るという光景。
即ち希望的観測、未来をつくる恋人たちへの期待をこめた光景。しかし、現実は漆黒の闇であり、何があるかは不明の混沌に満ちている。画一的な部屋の窓は平和であり、抑制を暗示している。
『恋人たちの散歩道』は(背伸びせよ、超えよ、突破せよ)という静かな期待とエールである。
写真は『マグリット』展・図録より
「ことに肥つたお方や若いお方は、大歓迎いたします」
二人は大歓迎といふので、もう大よろこびです。
☆秘(人に見せないように隠し)包んだ二役を報らせる他意は換(入れ替えて)合わせる。字を認(見分けること)が、他意を換(入れ替え)合わせる芸(わざ/術)である。
だけど、そんな男性がどこに見つかるでしょうか。ほかの娘なら、たぶん一生涯さがしても見つけられなかったでしょう。ところが、フリーダの運勢は、測量師を彼女の酒場に連れてきたのです。もしかすると、この計画が彼女のこころに初めてうかんだ、ちょうどその晩のことだったかもしれません。
☆しかしながら、このような人がどこで見つかるでしょう。多分一生探しても無駄で、ほかの作り話なら見つけられなかったでしょう。ところが、フリーダの運命は測量師(土地がないことに気づいた人)を酒場(死の入口付近)に連れてきたのです。その計画が初めてひらめいたのは、終末(死)だったのかもしれません。
でで虫の繰り出す肉に後れをとる
たしかに、あれは肉である、肉がどこぞへ向かい進んで行く。さぞかし鈍いと思っていると、目を離したそのスキに見えなくなっている。
虫はチュウと読んで、誅。
繰り出すはソウ・スイと読んで、争、遂。
肉はニクと読んで、憎。
後れをとる(後取)はゴ・シュと読んで、互、守。
☆誅(罪を責め咎め)争うことを遂げると、憎むようになる。
お互いに守(他から侵されないように防ぐこと)である。
虫はチュウと読んで、注。
繰り出すはソウ・スイと読んで、総、推。
肉はニクと読んで、二句。
後れをとる(後、取)はコウ・スと読んで、衡、須。
☆注(書き記したもの)を総て推しはかると、二句がある。
(それは)衝(つり合い))を須(必要)とする。
『恋人たちの散歩道』
恋人、未来を夢見る二人である。道の前は漆黒の闇、しかし二人は突き抜ける無限の空を描いている。各々、少しの差異はあってもその風景は同質である。
しかし、よく見ると《道》ではない。集合住宅、数多の住宅街が立ちはだかっている。
つまり、道はないのである。彼方に大きく掲げた理想の自由(フレームの中の空)は、手の届かない遥か高所にある。個々人が入居する建物などより遥かに遠く高い。
手につかもうとすれば、さらに遠く離れていくかもしれない。
眼前に広がる遮蔽物、それは内在する人々の思惑でもある。社会であり、制度であり、主義主張が建物の中で息を潜めている。未来、新しい時間を開拓する若い二人の大きく重い障壁である。
『恋人たちの散歩道』は行き止まりであり、閉塞状態である。修正、破壊、災害、どんな未来が待っているかは定かでない。フレームの中の自由(青空)、設計図を遂行できる未来は沈黙している。
恋人たちの散策に目的はないが、その風景は厳然と自由の前に立ちはだかっている。
写真は『マグリット』展・図録より
二人は戸を押して、なかへ入りました。そこはすぐ廊下になってゐました。その硝子戸の裏側には、金文字でかうなつてゐました。
☆字を認(見わけ)、個(一つ一つ)を追うのは新しい。
漏れる化(教え導くこと)の章である。
詞(言葉)の個(一つ一つ)の理(道理)は即ち、魂の悶(苦しみ)を治めることである。