先日紹介した
≪新日本鍼灸楽会草紙≫でも、批判を浴びていますが、鍼灸学校
で教えている先生の中には、診断や治療のできない先生が多いという評判(?)は、
業界にとっての恥部となりつつある。
困ったものだ!
鍼灸業界を知らない人は、「鍼灸学校の先生だから鍼は上手いだろう」と考えて
いるのが一般的だと思いますが、近年の「鍼灸学校乱立」で教員不足が発生し、
教員資格さえあれば、鍼灸も教育も共に未経験を承知で、鍼灸学校は教員とし
て採用し、明日からでも教壇に立たせる。
そして、・・・・・そして、である。
診断も鍼灸もできない教員が、学生に診断と鍼灸を教える。
これでは、鍼灸学校を出ても、単なる「技能者」にしかなれず、「技術者」にな
るには、さらに数年の歳月を要する。
これから鍼灸学校へ進学する予定のある人や、子女を
鍼灸学校へ進学させようと考えている方々は、慎重に
進学する学校を選ばなければならない。
技能とは、「技芸を行う腕前」のことで、何百回も同じ動作や仕事を繰り返し行
えば、身につくものですが、技術とは、「物事を巧みに行う技」であり「科学を
実地に応用して自然の事物を改変や加工をして、人間生活に役立てる技」のこ
とであるから、鍼灸学校で技能を伸ばす方法だけ(これさえも怪しいものだが)、
を教えられた学生は「不幸」としか言いようがない。
鍼灸の技術には、診断と治療のレベルは言うまでもなく、患者さんの心の動き
を読み取る能力や、自己管理能力、勉強意欲や研究意欲、向上心、患者さんに
対する愛情や、鍼灸という仕事を続ける信念などが必要になってくるはずです。
ところが、最近の鍼灸学校の教員は、鍼灸学校を卒業すると同時に、鍼灸学校
の「教員養成科」へ進学し、教員の資格を取得して、すぐにも鍼灸学校の教員
になってしまった人が多いのです。
ですから、笑い話ではなく、「治療のできない人が治療を教える」という事態が
発生し、治療のできない人に教えられた人たちは、治療の現場に入ることさえ
躊躇してしまう結果になってくる。
そして、方向を模索するために本を読むのですが、本の中に自分を投影してし
まい、ヤクザ映画を見て映画館から出てきた人と一緒で、自分の力量のなさを
隠すために、「古典には、このように書かれています」という結果になる。
(黄帝内経の最初に養生が書かれているのに、養生法も知らずにです)
一方では、卒業し立ての鍼灸師に、患者さんをそっくりそのまま任せていると
ころもあるのですが、「石の上にも三年」という言葉があるように、やはり修行
を要する職業であり、診断の難しさから考えても、当人の将来のことを考えても、
私が見てきた経験からすると、鍼灸学校を卒業してからの臨床経験が、最低
三年ぐらいは必要であり、技術的にはまだまだ未熟と考えるべきである。
一作年に出版した
≪究極の特殊針≫は、当院へ研修に来る方たちのために
作成したテキストを、整理編集して出版したので、うちのスタッフにも「こんな本
は売れないのだが(笑)、私が先に本を出さないと、誰も巨針の本を書くことが
できないから、とりあえず出版することにした」と、いつも話していた。
が、しかし、大阪の大型書店である旭屋さんや、当院近所の博文堂さんでは、
半年以上も平積みしてくれましたし、森ノ宮医療学園の長野先生や、六然社の
寄金先生は、機会あるごとに、その本を紹介してくれましたので、ほぼ完売に
なってしまいました。
そのために、8月から始める
≪臨床実践塾≫(技術者を育てるための技術者講
習)のテキストも、今回の募集分(8冊)はあるのですが、次に予定している
虹彩学のサブテキストでは足りない状態になってしまい(笑)、慌てて改訂
版の出版準備をしている状態です。(汗)
ということで、診断即治療&虹彩学に関する
ブログの更新が滞っています。(笑)