住吉宮町遺跡のヒマワリ(スケッチ&コメント)
JR神戸線住吉駅南側線路沿いに住吉宮町遺跡跡がある。
ここは弥生時代から室町時代まで続いた遺跡だそうだ。
現在は整地され、「はにわの広場」として一般公開されている。
花壇があり四季折々の花が植えられているが、ちょっと
見かけない花形をしたヒマワリを見かけたのでスケツチした。
ヒマワリは南北アメリカに自生する耐暑性の一年草であり
いろいろな種類がある。
ヒマワリが咲き始め、セミが鳴くといよいよ夏到来を思わせて
くれる。
近畿地方には気象庁からの梅雨明け宣言は
いまのところない。
セミは10日ほど前から鳴き始めている。ヒマワリもつぎつぎ花を
咲かせているから、梅雨はとっくに明けたのであろう。
「はにわの広場」のゆわれは、現在スーパー
「シーア」駐車場となっているところに全長24メートル、
高さ1.5メートルの古墳が発見され、円筒形の墳輪の
回りに馬や人の形をしたはにわが多数出土したと
記録にある。
ところで、現在のJR神戸線は明治3年(1870)、大阪、神戸間の
工事がはじまり明治7年(1874)3月1日開通、
住吉駅は同年6月1日に開業したとある。
旧住吉駅は、昭和13年(1938)の7月3,4,5日の3日続きの
集中豪雨で駅近くを流れる住吉川が氾濫し列車丸ごと陥没した。
さらに神戸を襲った昭和20年(1945)、3月、5月の空襲は
まぬかれたが、敗戦直前の同年8月6日の爆撃で壊滅したとある。
戦後復興した旧住吉駅も平成2年六甲アイランド線開通とともに
現在の新駅ビルへと面目を一新した。
灘はお酒の本場。旧住吉駅は日本酒の積みだし駅としても
大活躍したようだ。第二次世界大戦後しばらくは残っていた
昔の住吉駅を懐かしむ人も多いようだ。
神戸、大阪間には、JRを挟んで北に阪急、
南側すぐの国道2号線には、阪神経営の路面電車、
さらに海側に阪神本線が走っていたが、30数年前、
路面電車から阪神電鉄が撤退したあとも、JRと私鉄2社
三つ巴の熾烈な乗客争奪戦を続けている。
路線は違うが、先日のJR福知山線脱線事故は
JR対私鉄〔阪急〕の過当競争のひとつの副産物とも
見られており、私鉄との浅からぬ過去の因縁抜きにしては
語れない事故かもしれない。
現JRの開通当初の時刻表が残っている。
神戸大阪間に6駅しかなかった。
大阪方面、神戸始発列車は6時55分、三宮7:00、
住吉7:18、西宮7:35、神崎(かんざき)〔現尼崎〕7:51
を通過して、大阪8時05分に着く。
神戸方面始発は大阪7:00、神崎〔現尼崎〕7:14、
西宮7:31、住吉7:50、三宮8:05、そして
神戸に8時10分である。
上り下りとも所要1時間10分であった。
131年経って駅の数は16と増えた。それでも
駅間隔は比較的長く、住民から新駅開設の声が
絶えないらしい。
駅の数は増やす。スピードはそのまま。
現在神戸大阪間の所要時間は普通で約40分、新快速を使えば
25分である。
JRは脱線事故後ダイヤを一部修正した。しかし、一端しみついた
私鉄との競争意識はおいそれとは変わらないだろう。
気のせいか、事故の経験を早くも忘れたのか、
最近再び、ガタビシ、ガタビシ激しく 左右に揺れる。
さらに、1分遅れた、2分遅れたとお詫びのアナウンスが
耳障りに感じるほど最近多くなった。
乗客もJR当局も根本的にスピード優先意識を変えようと
しない限り再び事故を起こすであろう。
住吉宮町遺跡に咲くヒマワリ。
神戸大阪間に列車が走って131年。
住吉駅界隈の歴史を振り返るひともいないだろうが、
大事故だけはやめにして欲しい。了)
Kenさんのスケッチは、ブログ容量の関係で削除させて頂きましたが、11月1日に、「かんぽう」さんから『ユニークに乾杯』というタイトルで出版予定です。定価2.000円。
ISBN978-4-904021-03-3 C0071 1905E
株式会社 かんぽうサービス ℡06-6443-2173
大阪市西区江戸堀1-2-14 肥後橋官報ビル6F(〒550-0002)
JR神戸線住吉駅南側線路沿いに住吉宮町遺跡跡がある。
ここは弥生時代から室町時代まで続いた遺跡だそうだ。
現在は整地され、「はにわの広場」として一般公開されている。
花壇があり四季折々の花が植えられているが、ちょっと
見かけない花形をしたヒマワリを見かけたのでスケツチした。
ヒマワリは南北アメリカに自生する耐暑性の一年草であり
いろいろな種類がある。
ヒマワリが咲き始め、セミが鳴くといよいよ夏到来を思わせて
くれる。
近畿地方には気象庁からの梅雨明け宣言は
いまのところない。
セミは10日ほど前から鳴き始めている。ヒマワリもつぎつぎ花を
咲かせているから、梅雨はとっくに明けたのであろう。
「はにわの広場」のゆわれは、現在スーパー
「シーア」駐車場となっているところに全長24メートル、
高さ1.5メートルの古墳が発見され、円筒形の墳輪の
回りに馬や人の形をしたはにわが多数出土したと
記録にある。
ところで、現在のJR神戸線は明治3年(1870)、大阪、神戸間の
工事がはじまり明治7年(1874)3月1日開通、
住吉駅は同年6月1日に開業したとある。
旧住吉駅は、昭和13年(1938)の7月3,4,5日の3日続きの
集中豪雨で駅近くを流れる住吉川が氾濫し列車丸ごと陥没した。
さらに神戸を襲った昭和20年(1945)、3月、5月の空襲は
まぬかれたが、敗戦直前の同年8月6日の爆撃で壊滅したとある。
戦後復興した旧住吉駅も平成2年六甲アイランド線開通とともに
現在の新駅ビルへと面目を一新した。
灘はお酒の本場。旧住吉駅は日本酒の積みだし駅としても
大活躍したようだ。第二次世界大戦後しばらくは残っていた
昔の住吉駅を懐かしむ人も多いようだ。
神戸、大阪間には、JRを挟んで北に阪急、
南側すぐの国道2号線には、阪神経営の路面電車、
さらに海側に阪神本線が走っていたが、30数年前、
路面電車から阪神電鉄が撤退したあとも、JRと私鉄2社
三つ巴の熾烈な乗客争奪戦を続けている。
路線は違うが、先日のJR福知山線脱線事故は
JR対私鉄〔阪急〕の過当競争のひとつの副産物とも
見られており、私鉄との浅からぬ過去の因縁抜きにしては
語れない事故かもしれない。
現JRの開通当初の時刻表が残っている。
神戸大阪間に6駅しかなかった。
大阪方面、神戸始発列車は6時55分、三宮7:00、
住吉7:18、西宮7:35、神崎(かんざき)〔現尼崎〕7:51
を通過して、大阪8時05分に着く。
神戸方面始発は大阪7:00、神崎〔現尼崎〕7:14、
西宮7:31、住吉7:50、三宮8:05、そして
神戸に8時10分である。
上り下りとも所要1時間10分であった。
131年経って駅の数は16と増えた。それでも
駅間隔は比較的長く、住民から新駅開設の声が
絶えないらしい。
駅の数は増やす。スピードはそのまま。
現在神戸大阪間の所要時間は普通で約40分、新快速を使えば
25分である。
JRは脱線事故後ダイヤを一部修正した。しかし、一端しみついた
私鉄との競争意識はおいそれとは変わらないだろう。
気のせいか、事故の経験を早くも忘れたのか、
最近再び、ガタビシ、ガタビシ激しく 左右に揺れる。
さらに、1分遅れた、2分遅れたとお詫びのアナウンスが
耳障りに感じるほど最近多くなった。
乗客もJR当局も根本的にスピード優先意識を変えようと
しない限り再び事故を起こすであろう。
住吉宮町遺跡に咲くヒマワリ。
神戸大阪間に列車が走って131年。
住吉駅界隈の歴史を振り返るひともいないだろうが、
大事故だけはやめにして欲しい。了)
Kenさんのスケッチは、ブログ容量の関係で削除させて頂きましたが、11月1日に、「かんぽう」さんから『ユニークに乾杯』というタイトルで出版予定です。定価2.000円。
ISBN978-4-904021-03-3 C0071 1905E
株式会社 かんぽうサービス ℡06-6443-2173
大阪市西区江戸堀1-2-14 肥後橋官報ビル6F(〒550-0002)