小堀遠州特別展:大丸神戸店
江嵜企画代表・Ken
画材店、ルナを訪ね、画材の花を買い、足を延ばして、元町にある
大丸神戸店9階のレストラン、パキアで昼食を取る。それが神戸三宮へ
出たときのコースになった。
たまたま大丸ミュージアムKOBEで小堀遠州,美の出会い展(3/19~31)が
開かれていた。小堀遠州という名は耳にしたが、文武にたけ,テクノクラート
としても、なかなかの人物であることを始めて知った。
会場に入ったのは11時前だったが、ご婦人客で一杯だった。
朝日新聞の3月15日夕刊で、今回の特別展が紹介されていたから
来たという客人がいた。茶道具,茶碗、茶入れ、茶杓が並んだケースを順番に
熱心に見ている。おそらく、茶の心得のある人であろう。
会場に用意されたビデオブースの様子を軽くスケッチした。
ビデオ画像を追いながら元NHK加賀美アナウンサーのナレーションを聞いた。
小堀遠州(1579~47)は、関が原の戦いに22歳の時に参戦している。
千利休と10歳のときに会ったという記録がある。遠州に茶の素養があったのは
利休との運命的な出会いが影響したかもしれない。
城造りに独特の才能を発揮した。備中松山築城の功績を伝え聞いた
徳川家康が、遠州に駿府城築城を命じ、それが縁で、遠江守に任ぜられた。
御所の造営にも参画している。
造園にも才能を発揮した。頼久寺庭園や南禅寺八窓室、大徳寺などの
茶室から裏山を借景にして庭を眺められるように造られたと解説された。
小堀遠州は日記や茶会録を残しているが400回以上の茶会を開いている。
延べ1000人が、公家、武人、絵師、俳人、豪商など様々な人が身分を越えて
名を残している。
遠州が松花堂昭乗、淀屋ヶ庵、佐川田昌俊、橘屋宗玄4人との連歌を
記した,縦27センチ、幅56.3センチの巻紙が、会場に展示されていた。傍に
「玄ヶ庵」の銘をつけて遠州が、ヶ庵に贈った茶杓と説明にあった。
ここに登場する淀屋ヶ庵とは、淀屋常安の息子で、淀屋橋を自費で架け、
米先物取引を開発した、淀屋言当、まさにその人である。
会場の説明書きによれば、淀屋ヶ庵は、茶の湯をよくし、連歌にも
堪能で遠州等とも親しく、寛永文化サロンの一員とあった。
いま、なぜ、小堀遠州なのか。今回の特別展の隠された深い意味を
かみしめながら会場を後にした次第である。(了)