『山月記』の虎:青木稔弥教授(神戸松蔭女子大学院公開講座)
江嵜企画代表・Ken
『日本の文学・文化を楽しむ』4回シリーズとして神戸松陰大学で公開講座が開かれている。
6月14日は第二回目「『山月記』の虎」と題して、神戸松陰女子学院大学、青木稔弥教授の話を聞いた。会場の様子を何時ものようにスケッチした。
青木教授によれば『山月記』は「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」をキーワードとして語られることが多い作品である。作者は中島敦。高校国語の定番教材。詩人になりそこなって虎になった哀れな男、李徽(りちょう)。唐代の伝記小説「人虎伝」が典拠。
青木教授は『山月記』は「右も左もわからない(というか、わからなくなった)主人公ががむしゃらに頑張り、最後についに、虎って字が書けないもんなあ。こうなったら、いっちょ月に吠えておくしかあるまい、と気づく話」となると解説した。
青木教授は「名作と呼ばれる物語の主人公には右も左もわからない人がやけに多い。夏目漱石の「こころ」。「右も左もわからない主人公ががむしゃらに頑張り、最後に遺書。先生との思い出話を書き綴っておしまい。いまさらそれはないよ。」となるお話と解説した。
『山月記』の典拠の「人虎伝」の一説を青木教授は会場の入り口で配られた資料から読み上げた。
「主人公、李徽は、狂って虎になる。かっては鬼才と呼ばれた自分に自尊心がなかったとは言わない。しかし、それは臆病な自尊心というべきものであった。己は詩によって名をなそうと思いながら、進んで師についたり、求めて詩友と交わって切磋琢磨努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。
わが臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。」と。
「人生は何事をもなさぬには余りに長いが、何事かをなすには余りにも短い。
口先ばかりの才能を空費してしまった訳だ。実は、才能の不足を暴露するかもしれないとの卑怯な危惧と刻苦を厭う怠惰とが己のすべてだったのだ。」と続けて読んだ。
唐の時代と現代。人間の心の営みは全く変わっていないと聞きながら感じた。
1時間半の講義はあっという間に終わった。質問は?と青木先生。誰も手を挙げなかった。
一人の老紳士が教壇のそばに進み出て個人的に暫時聞いていた。
中島敦の『山月記』は高校国語の定番教材。「人虎伝」が典拠。かりそめにも人生の過半を過ごした身として、身の周りに現代版「李微」が多いことを改めて気づかされた。
家族とのつながりを断ち、山野で虎になる勇気があればまだ救いがある。誤解を恐れずに言えば、益々先の見えない世の中、精神科のお世話にならないよう気を付けたい。
今年度の公開講座は、今回の「山月記」の虎以外では源氏物語の成立の伝来(片岡利博教授)、「俵屋宗達と『伊勢物語』(田中まき教授)、「歌舞伎入門ー役者を中心に」(秋本鈴史教授)とそれぞれ魅力的テーマが並んでいる。ちなみに受講料は無料である。(了)