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日本鐘は、どのように形成されたか:五十川伸矢氏、甲陽歴史研究会(スケッチ&コメント)

2014-09-01 13:03:58 | スケッチ


日本鐘は、どのように形成されたか:五十川伸矢氏、甲陽歴史研究会

江嵜企画代表・Ken


「日本鐘は、どのように形成されたか」の演題で、甲陽歴史研究会の会合で、8月30日、朝10時から、母校50回生、現京都橘大学教授の話を聞く機会があった。この日は母校同窓会会員総会が午後1時開催のためいつもより時間の余裕があり、めったに聞けない梵鐘の話を聞くことができ幸いだった。

本論に入る前に、最近は、各自治体も緊縮財政で、歴史研究に携わる部署が次々閉鎖、専門職の方も普通の事務職に配置換えされ、誠にさびしいかぎりだ、と紹介があった。その中にあって甲陽歴史研究会が現存、年一回、同窓会総会に合わせて開催される。幹事の42回生橋本久さんのご尽力とそれを支えてくれる母校同窓会事務局に改めて感謝したい。

梵鐘は作られた国によって中国鐘、朝鮮鐘、日本鐘と呼ばれる。五十川教授によれば、日本鐘の様式(形態・装飾)の源流が中国祖型鐘にあることは間違いないが、日本鐘の技術(造形{鋳型分類}・鋳造{湯口系})の源流の研究には中国鐘のみならず朝鮮鐘の検討も必要と指摘された。

中国鐘は外型縦分割が多い。初期の日本鐘は外型横分割が多い。朝鮮鐘は様式に日本鐘と違いがある。失蝋法、蝋を溶かして作るほうほうで技術系統が異なる。しかし、最古の朝鮮鐘は奈良時代鏡と似ている。それ以降、光明寺鐘(9世紀)、長安寺鐘(11世紀)と酷似している。日本鐘の成立展開過程で朝鮮鐘と技術的交流があったとみる方が自然であると話した。

五十川教授は、日本鐘・中国鐘・朝鮮鐘の三種は、異なる地域においても孤立して発展したのではない。成立から展開に至る段階でも、様式と技術にわたり絶えず相互に影響を与えつつ「混淆」しながら発展形成されてきたものだろうと結論づけておられた。

「湯口系」という言葉が出てきた。「湯口」とはお湯の出口のこととばかり思い込んでいた。鋳造で鋳物を湯(溶解した金属)を鋳型へ注ぐ最初の入り口を意味することを初めて知った。面白かったのは、「湯口」から鋳物を注ぎ込む。全体に行き渡った時に空気が抜ける。ポンとかシューとかいうのだろうか。空気が抜けて上がりと聞いて、妙に納得した。

青銅製が多いが稀に鉄製があると聞いた。他にも専門家が聞けばわくわくするような話がたくさんあったに違いない。しかし、まったくの門外漢の筆者では、五十川先生の話を正確に理解するのは所詮無理だと観念している。ただ、何事も話は聞いてみるもの。いろいろなことを教えられた。


帰宅して「梵鐘」をヤフーで検索した。最近、都市部では梵鐘を騒音ととらえた地域住民から苦情がくる。梵鐘の撞き手はいなくなり除夜の鐘も撞くお寺が減っている。自動撞木を導入したお寺もあると聞くと世の中の変わりようにただただ驚くばかりである。ちなみに第二次世界大戦時に出された金属類回収令で、文化財に指定されていた一部を除き近代、近世以前に鋳造された日本鐘の90%以上が失われた。除夜の鐘を聞きながら新しい年を迎えられる日本でありたい。(了)

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