甲陽史学会風景:柿本人麻呂・山部赤人の信仰と伝説
江嵜企画代表・Ken
甲陽歴史学会が、8月29日午前10時からノボテル甲子園で開かれ、講師の山内英生
先生から「柿本人麻呂・山部赤人の信仰と伝説」ー歌聖は如何にして誕生し変容して
いったかーについて2時間近い講演を堪能した。柿本人麻呂についてまとめた。会場
の様子を恒例により即興でスケッチした。
話は、「柿本人麻呂、生没年不明、『万葉集』の作品以外資料なし」から始まっ
た。生まれ年として、大化三年(647)説、天智天皇六年(667)説、没年として、和銅
元年(708)説、和銅二年(709)説がある。
人麻呂の死没地は石見か大和か。妻、依羅娘子(よさみのをとめ)の居る場所は石
見か大和かに話は進んだ。人麻呂の死没地として、斉藤茂吉説は島根県邑地郡美郷町
湯抱の鴨山。鴨山公園に「人麿がつひの命ををはりたる鴨山をしもここと定めむ」の
茂吉の歌碑が建っている。
アララギ派の人は歌聖として人麻呂が大好きだと講師の山内先生は余談ながらとし
て話された。死没地として奈良県葛城山中との説もある。人麻呂と依羅娘子の関係で
は、依羅娘子とは別に現地妻がいたのか。諸説あるが定かでない。
山内先生は、6人で人麻呂研究チームを作った。全国にある人丸神社・柿本神社402
社にアンケート調査した。340社から回答を得た。手分けして現地に出向き、関係者
の話を聞いた。祠はあった。しかし、他の神社に合祀されて、名前だけ残っている神
社が多かった。
稲岡神社(兵庫県姫路市青山2-9)、摂社人丸神社がある。人麻呂に関する伝説が
残っている。人麻呂が播磨守だったとき、この地にやってきてしばらく住んでいた。
石見の国と都を往還するとき、この地に立ち寄った。都に向かう時、石見に残した
妻、依新娘子が追いかけてくる夢を見たので引き返した。その場所を妻見岡と呼ぶよ
うになったと伝えている。
明石城内に人麻呂塚がある。JR明石駅東800Mに明石市天文科学館がある。その裏手
に曾洞宗、人麿山月照寺がある。人丸没後1250年にあたるとされた昭和47年(1972)
に奉賛会
が開かれた。明石市立文化博物館に寺、神社の所蔵品が保管されている。
人麻呂は歌聖として敬愛され、歌・芸事の上達を願う人多く、人丸信仰は広がって
いった。それと同時に、「人丸」から「ヒ・トマル」、「火・止まる」とのごろ合わ
せが生まれ、消防車が新しく導入されるとご利益を願って消防署が訪れるそうだ。
「ヒ・ト・マル」転じて「ヒ・ト・ウマル」から「人・生る」で安産の神様。「人・
護る」から地域の守護神とされる。田の水神、商売繁盛、産業振興へ拡大していっ
た。
山内先生は、老齢化が進み人麻呂ゆかりの神社で合祀や廃社が急速に進んでいる。
あとを継ぐ人がいない。資料に明記されていながら当の神官が承知していなかった神
社も数多くあった。早晩、柿本人麻呂ゆかりの諸資料が散逸消滅する。正直危機感を
覚えたと話し講演を終えられた。(了)