琵琶法師の世界:平曲弾き語り奏者
江嵜企画代表・Ken
地元、六甲アイランドにある神戸国大学で6月4日(土)午後1時半から『琵琶法師の世界』と題して、平曲弾き語り奏者、荒尾努先生を迎えて語りと琵琶の演奏会があり、楽しみにして家族と出かけた。いつものように会場の様子をスケッチした。ご婦人が多かったが、おそらくご夫婦だろう、お二人連れもこの日は目立った。
荒尾先生は1979年生まれ。慶大法学部政治学科卒業、三菱重工航空宇宙事業本部に勤めながら、年間50回近く演奏,講演活動を行っておられる。20歳の時に故金田一春彦、須田誠舟先生に師事した。現在も研鑽を続けておられると事務局から紹介された。
語っては琵琶を弾く、弾いては語る。演奏は「祇園精舎」から始まった。おなじみの♪祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり♪である。二曲目は『敦盛最期』である。源義経は3千の兵を率いて一の谷を下る。平家は総崩れとなる。平敦盛も沖へ逃れようとした。熊谷次郎直実に呼び止められる。熊谷は敦盛を一たん逃がそうとするも供養のためと泣く泣く敦盛の首をはねる場面である。
三曲目は『那須与一』の場面である。講演の舞台には扇の的が立てられていた。義経は屋島に逃れた平家を
追う。背後から攻められた平家は海へ逃げる。美女を乗せた小舟が平家に近づいた。美女は紅地に金の日輪が描かれている扇を竿の先に挟んで手招きしている。義経は弓の名手、与一を呼ぶ。今まで強く吹いていた風が止む。40間(70メートル)離れた扇を見事射貫く。源氏平家両軍はどっと歓声を上げる場面である。
四曲目は「先帝御入水」の場面である。屋島の合戦に敗れた平家は瀬戸内海を西に逃れる。壇の浦での決戦の火ぶたが切られる。はじめ平家は優勢だった。次々寝返りに合う。潮の流れも変わった。もはやこれまでと清盛の妻、二位の尼は覚悟を決める。
八歳にならせおはします主上は「我をば何処へ具してゆかんとはするぞ」と仰せければ、二位殿、いとけなき君に向ひ参らせ、涙をはらはらと流ひて、「君はいまだ知ろし召ささぶらはず、波の底にも都のさぶらふぞ」と慰め参らせて、二位殿やがて抱き参らせて千尋の底にぞ志ずみ給ふ」と語りは最高潮に達した。
荒尾先生は平家一門の素晴らしさ、優しさを伝えたい。平家は、家族を愛し親が子を愛し、人の死に涙し、敵味方関係なく敬意を払い、生をむさぼらず絆や縁を大事にした。ひとの心の痛みのわかる心優しい平家一門の心を語り継ぎたいと講演を結ばれた。
荒尾先生は「今、日本には①心がない。②情けがない、③誠もないと、控室で、事務局の方に漏らしておられたそうだ。今回のような講演を聞いて欲しい人は足を運ばないのかもしれない。この日、質疑応答がなかった。学生さんとのやり取りがあればなおよかったと思いながら帰路についた次第である。(了)