北摂の旅
江嵜企画代表・Ken
西宮文化協会、恒例の秋の見学会が、11月行事として11月15日(木)行われ、北摂の大覚山方廣寺、キリンビール神戸工場、三田市ガラス工芸館を訪れた。お目当ての訪問先の一つ、方廣寺を参拝、紅葉の境内、石庭を散策の後、同寺山門の前で、三三五五、しばし談笑されるところをスケッチした。今回は20数人が参加した。
バスは、ほぼ定刻の8時35分に西宮神社境内を出発した。恥ずかしながら方廣寺と聞いて、どんなお寺なのか、どこにあるのかも知らなかった。今回のバスは「窓がありません。装置で携帯電話がつながります。トイレも後部座席についています」と運転手さんが発車直後にアナウンスした。
西宮文化協会、山下忠男会長の恒例の挨拶の後、今回の企画全てを取り仕切られた理事の堀内陽光さんの解説から旅が始まる。開口一番、堀口さんは「私は晴れ男なんです。本日も見事な秋晴れの天気となりました。北摂の旅は今回で4回目となります。いずれもひなびた、人が余り訪れない場所を選びました。」と話した。
方廣寺には予定の午前10時より早く着いた。山門をくぐり、石畳を5、60メートル強歩いたところに本堂が見えた。本堂前で僧侶姿のご婦人が我々一行を丁重に出迎えてくださる。第11代鈴木龍珠住職の次女で第12代、忍明住職さんだとあとでわかった。「方廣寺へようこそお参り下さいました。ありがとうございます。この度は西宮文化協会の皆様とお聞きしております。文化にふさわしいお話ができればと思いますが」と、言葉選びされながら、物静かで、凛とした語り口調が印象に残った。
「方廣寺は350年前、それは、江戸時代。中国福建省の黄檗山萬福寺から隠元さんというお坊さんが日本へ渡来、宇治黄檗山萬福寺を創建されました。」と話を始めた。「その時幕府の命を受けて、麻田藩(現在、豊中市蛍池)二代藩主,青木甲斐の守重兼公が、所領の中でも最も幽玄、景勝の地に黄檗山を模して七堂加羅を創建されたのが方廣寺の始まりです」と話を続けた。
「明治・大正にはいり寺は荒廃しました。昭和10年(1935)、第11代が空き寺に移り住み、境内を整備した。父が苦労している姿を見て育った。自分はこの寺を守っていきます。」と話された。さきほど忍明住職から聞いた話ですがと前置きして、山下会長が「現在、檀家は20数家ほどに減った。寺の維持管理は正直厳しい。」などと話しておられた。この度の、私どもの参拝も少しはお役に立てたかもしれない。」と紹介された。
次にキリンビアパーク神戸での工場見学と昼食会場に向かった。神戸工場は、大正7年(1918)創業の元JR尼崎駅そばにあった工場が平成7年(1997)移転して出来た。ビール製造にはまず豊富な良質の水と日になん百トンという大量の物流をさばくことが出来る、交通の要所という必須条件を満たす場所として選ばれた。
昼前に神戸工場に着いた。見学時間は1時間。予め決められたコースを係の女性が見学者を手際よく案内する。窓から見える生産現場には人の姿が見えない。たまたま2人見えたので「何をしておられるのですか」と係の人に尋ねた。「ラベルがきちんと貼られているかどうかなどを目視で瞬時に見分けるため。人間でないと出来ない箇所のみに人を配置している」との答えが跳ね返ってきた。楽しみの試飲コーナーでは3杯までOK。当社自慢の一番搾りの黒とクラフトビールとをおいしくいただいた。
食事を済ませた後、最後のコース、三田市ガラス工芸館を訪問した。工房入り口で係員にお好みのガラスコップが渡される。配られるガラス製品の全てがクリーンセンター(ごみ処理施設)で発生する廃ガラスを利用しで出来た。思い思いにオリジナルコップの制作に幼稚園時代にタイムスリップしたようで大いに楽しんだ。
帰還予定時間午後5時より1時間早く夙川の堤が見えた。山下会長ご指名で、この日、バスツァーに参加された西宮神社、吉井良昭宮司さんは「ちいさいころはバスツアーによく参加させてもらっていた。先日、裏磐梯の紅葉を見る機会があった。それとは一味違った北摂、三田の紅葉を楽しむことが出来幸いだった。又時間見つけて是非参加したい。」と挨拶され、お開きとなった。貴重な機会をご用意いただいた理事の堀口さんはじめ西宮文化協会の皆様にひたすら感謝である。(了)