Aは黒、Eは白、Iは赤、Uは緑、Oは青。
…ランボーの有名な詩の一節である。
先月29日、教育テレビで『共感覚のミステリー』というのをやってて、音を聞くとあるいは字を見ると色を感じる、という人が紹介されていた。
聞いた音を処理するのに、または見た文字を処理するのに、色を感じる脳の部分も反応してしまうかららしい(ただし同じ文字でも、感じる色は人によって違うとのこと)。
数千人に1人とか、そういう割合で存在しているようで、他にも形や音から味を感じたりする人もいるそうだ(『共感覚者の驚くべき日常』という本に詳しい)。ひょっとしたら、五感すべてがつながっている人もいるかもしれないが、とても生活しづらいだろうと思う。
あるいは、オーラが見える人ってのは、共感覚者なのかもしれない、と。
こういう感覚は一般の人でも多かれ少なかれあるようで、たとえば「ブーバ」と「キキ」と、○か☆かにそれぞれ名前を付けるとすれば、やはりほとんどの人が○をブーバ、☆をキキと呼び、それは人種や使う言葉の違いに関係ないとのこと。
不思議な感覚なのでどうもイメージしづらいのだが、たとえば赤ちゃんの泣き声で心配な気持ちになったり、人の笑い声で嬉しい気持ちになったりするのも、共感覚の一種と言えないこともない。
人類共通の感覚であるとすれば、他の惑星の住人ならば、また違った感覚(○がキキ、☆がブーバ)もあり得るのかもしれない。そう言えば、英語のzigzagは、日本語で言うとギザギザで、感じがよく似ているし、「行け行け」は“OKOK”に似ていないこともない。
さらに言うと、walkと歩く、boneと骨、crowと(黒い)カラス、などなど、語源が同じじゃないかと思われるような不思議な一致もある。ただ言葉の生まれる元である感覚が同じであれば、同じような言葉になるのはある意味自然な流れだとも言える。
ちなみにスワヒリ語の「マワレ」は、「回る」という意味だそうだ。
相変わらず小難しくなってしまったので、最後に小話を。
「はっきり答えて! イエスなの、ノーなの?」「いいえッス」
〔冒頭のイラストは、共感覚者・森のコアラさんのブログより勝手ながら拝借〕