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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

死を想うべし

2008-01-06 10:05:36 | こころ
 
 どっかで聞いた話。
 めでたい席で「何かおめでたいことを」と頼まれたある坊さんが、〈親死ぬ、子死ぬ、孫死ぬ〉と色紙に書いたという。全然めでたくないじゃないか、と言われたそのお坊さん、「いやいや、親が死に、次に子が死に、そして孫が死ぬ。これほどめでたいことはない」と答えたそうな。

 人は必ず死ぬ。それが、年の多い順番であれば、そう問題はない。しかしこれが逆だと、〈逆縁〉ということで非常に悲しい事態になる。
 去年もそんなニュースが多くあった。まあ普通じゃないからニュースになるのだとも言えるのだが、残された親御さんの気持ちを考えるとこちらも辛いものがある。頑張らなくてもいいから生きて行ってほしいと思う。

 ところで、事故やら病気やらで早くに死んでしまった人間については、どう考えたらいいのか。
 おそらく、だけれども、ワケあってその人は高い次元に行かされてしまったのではないか。人事でよくある、「彼はウチの部署に是非ほしい」とでもいったようなことが、この世とあの世との間で行なわれているのかもしれない。上の世界で必要になったために、行かされてしまった、と。
 辛い思いをしている人には何の慰めにもならないかもしれないが、そう考えたい。
 逆に、悪いことをした報いで死罪になった人間てのは、もう一つか二つ下の世界に送り戻されて、またやり直し、ということなのだろうと思う。「そっちで見てもらえないだろうか」というわけだ。

 どうしてこんなことを話すかというと、死を考えている人間の方が、精神的な免疫力が付いているため、たとえばガンの宣告をされても抵抗力があるからだ。たとえガンに打ち勝たなくても、安らかに死を受け入れることができるとのこと。いざという時に強いのだ。
 死についてあまり考えていないと(その方が“健康的”なのだが)、いざ死に直面するとジタバタしてしまうものらしい。死について考えている「不健康」な人の方が長生きできるという…。いわゆる体育会系のガッチリした元気そうな人間が、病気になったとたんガックリ来てすぐに死んでしまう、というのはよく聞く話。
 だから、自分の場合を含め、死について考えておくというのは意味のあることなのだ。

 新年早々、妙な話で恐縮です。でもめでたい時にこそ、逆のことも考えておく方がいいだろう、と思っています。
 

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