思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

自民党の体質ー憲法の理念問題 (トラックバック) 社会?

2005-02-04 | 社会思想
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[メタフィジカルな気分]とうとう憲法改正の波がうねり始めたようです」へのトラックバックです。 わたしは、作者の感想に共感します。


私は、自民党という巨大組織に群れ集まる人は、本質的に「ずるく」「いやらしい」人が多いな、と感じています。

自分自身としての内的な「よい」(真善美)を育てながら生きることが出来ない人は、自分の外部に絶対的な価値(彼らの場合は「国家」)を求めるしかありません。

不幸なことに、わが国には、個人を救済するよき宗教の力が弱いために、外部とは、イコール 世俗の権威、ということになってしまいます。(本来の浄土宗ー浄土真宗は、裸の個人の心を救済する宗教でしたが)

残念なことに、現在のわが国は、一党支配、一極集中、一校絶対、、、のヒステリーです。個人の豊かさー内面世界の大きさがありません。テレビを見ると、まさに、「顔は顕現する」!です。うむ、いやですね~。変えていきましょう!

一人一人の人間を尊重し、愛する社会ではありません。単一の価値観を「ソフト」に押し付けるシステム=「人間を幸福にしないシステム」(ウォルフレン)です。生きている人間ではなく、「国家」や「家系」という概念を愛する!という倒錯、それが国体思想(別名「天皇教」)です。

日本には宗教がない、というのは、半分ほんとうで、半分うそです。世俗を超越した新たな価値をつくる、という意味での宗教はありませんが、世俗の価値を絶対化してしまう「世俗教」という宗教は、深く人々を拘束していますから。

宗教とは意識しない宗教(世俗的な価値とは異なる価値が分からない「世俗絶対教」)なので、なんとも厄介です。批判者は、変な人・危険人物・非国民・・という扱いを受けてしまい、体制(世俗の価値)べったり=自民党や大きいものに寄り添う女々しい(男々しい?)人間がまともな社会人!?となってしまいます。

民主制社会成立の基本条件は、個人が批判精神をもった自立人であることですが、それとは逆の人間を育て、評価するようでは、お先真っ暗です。
私は、できることならば、何とか個人が自分の内部に「よき」ものを育てながら生きる=広義の哲学すること、を広げ、根付かせたいものだと思い、日々奮闘しています。

日本人や日本の伝統を、大きいものに寄り添う こずるい人間たち が、自分たちに都合のいいように勝手に解釈し、全国民に押し付けるなどということは、あってはならないことです。そんなことを許すなら、戦前、「天皇教」の洗脳教育を受け、その国家の戦争政策で亡くなった方々の霊は、永遠に浮かばれません。

ほんとうの愛国者ならば、問題点をしっかり見据え、根本的な解決の道を考えるはずです。明治政府がつくった神話を引きずりながら、「日本人とは?」を論じることしかできない自民党などの「日本主義者」は、それこそ国を滅ぼす人たちです。

必要なのは、よろこびの多い、個人を個人として尊重し・愛する社会の創出です。そのための原理を明示すること、世界の多くの人々の共感と感銘と尊敬をうる言葉と行為をつくり出すことです。決して、「国のため」でなく、今生きている「一人一人の人間のため」、を貫く政治思想を強く、高らかに、歌うことです。

私のブログ-ジャンル「社会思想」? ? ? ? ?は、そのためのささやかな一助です。今生きている人が幸福になることが、過去に生き、死んでいった人たちへの最大の報恩なのです。これは原理です。(2005.2.3 武田康弘)




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